ライフワーク

 

2017年1月28日
旧暦の元旦

その日

私はヨシズミ トシオさんの幅約15mの作品の前で舞った。

2017年をはじめるにあたって、これほどの機会はこれからの人生においてそうそうないことだろうと思う。



舞わせて頂けないかと話をもちかけたのは、1週間前。

たまたまSNSをチェックしたら、ヨシズミさんの個展があるではないか!

でも、そのタイミングでよかったのだと思う。
早くもなく、遅くもなく、(実際は遅いとはおもうがww)

そして、わざわざ日程を調整して頂き、1/28に舞わせて頂くことに了承を得る。


TOSHIO YOSHIZUMI(Englishで見て下さいね)

ヨシズミさんは芸術家として本当に凄くて、私にはまだ手の届かない領域の作品を産み出す方です。
実際に世界的に評価を得てもいます。ヨシズミさんの作品が真似されたりもするほどに。

初めての出会いから10年近くになるかと思います。
私が直接つながっている本物の芸術家です。

本物・・・それはどの時代においても本物である。


それで、1週間前に、舞うことのオファーをする際に、私はこれをライフワークにしようと思い至った。
舞踊家としてのライフワークをしたいと、以前より考えており、
その考えがピタッと降りて来たのであった。

前回より、ヨシズミさんの個展で舞う準備をして臨んでおり、
それより前は、ただ個展を観に行ったら、パフォーマンスしない?って感じでやったのが2回くらいあるのかな?
そんな流れもあって、やっとそれがライフワークというところに落ちてきたのだと思う。


このライフワークには、観客がいない。
いや、観客を私は欲しない。
鑑賞者を排し
純粋に、本物の芸術作品と只々向かい合う時であり
それを十全に味わう場である。

なんとも有難く、幸福である。



ということで、そのアーカイヴをここに載せておく。
上から新しいものです。

そして、この動画をとり編集しアップしてくれたa ri A Ru Creationzに感謝を捧ぐ。





















続きを読む

ー YOJYO -メモ  2016/10/15 パフォーマンス@古河

 




・・・ YOJYO・・・

よじょう

 ヨジョウ 

・・・余剰・・・余情・・・

余剰価値、余剰金、余剰人員、余剰農産物、余剰地、余剰分析、余剰在庫、余剰残高、余剰食糧、余剰電力、余剰戦力、余剰買取、消費者余剰、生産者余剰、社会的余剰、余剰容積率、余剰在庫、余剰汚泥、
余剰空間
余剰次元

余剰溢れる時代・・・

余情表現、余情妖艶、余情幽玄、花鳥余情、余情残心

余情失われし時代・・・




上に挙げた余剰熟語の「余剰」を「余情」にすりかえてみる

・・・すると素敵な世界に変容す!




余剰が不足を生み出して

余情が不足を潤した








ーYOJYOー第48回"a ri A Ru Creationz" The Art Project@コガミライ文化祭2016 ~Sozo世界を旅行する~


今回のYOJYOを切欠に 

改めて
現代における「余剰」の膨大さにため息をつき

「余情」の芸術表現の奥深さに感嘆した



「余剰」に於いては、すぐさま「足るを知る」を思い出す

そもそもこの世界に「余剰」など無いのだと思う

ある囲われた世界の視点によって便宜的に表現される概念に過ぎない「余剰」

便宜的にいうならば、「余剰」は「不足」によって支えられている

質量保存の法則ではないが

自然はいつも自然に帰ろうとする

その中で「余剰」を不自然さと便宜的に言い表すなら

不自然さを自然になじませていくことが自然なのだ

故にどんな不自然さも結局は自然に改修されていく

その自然の働きに抗うのか?沿うのか?

その岐路に人類は今二分されていっているように感じる



私は自らの体験や経験や感覚から

自然の働きに沿う道を歩み初めて約15年・・・

まだまだ自然の働きの入り口しか知らないが

その果てない豊かで生き生きした世界を

主に身体、躰、體、身を通して

途方に暮れながら 

にやけ

心地よく

驚きをもって


歩んでいる



かつての歌人達が愛でた「余情」

今はもうほとんど消えかかっているかそけきその「余情」の起こりを


我が身の深淵の今に糸を垂らしながら

ーYOJYOーの中に身を集注させたいと思う













余剰の無情


余情の無常


人間途上


諸行へ愛情








続きを読む

「祝水-はふりのみず」に御来場頂いた皆様、ありがとうございました。



感覚の蘇生をコンセプトとするアーティスト、和泉侃
自然に根ざした日本古来の心をテーマとする舞道家、柳元美香

この二人が総合演出する「水」をテーマとした舞台に出演できたこの縁
そして、この舞台を支えて下さった多くのスタッフ、アーティスト、共演者
並びに、会場まで足を運んで下さった多くの皆様方に
多大なる感謝を捧げます

ありがとうございました。


私も、かつての日本文化が有していた感覚の蘇生を探求しながら、現代の身体感覚の可能性も見据えつつ舞台を生きてきました。
それ故に、この舞台と縁を結べたのではないかと感じております。

「縁」のちから
その縁も水が運んでくれたのかもしれません。

「自然はいつも自然に還ろうとしている」

そのちからに出来るだけ抗わぬよう氣を付け、日々生きて来たことが幸いしたのだと、そう解釈しようと思います。

新たな出会い、新たな繋がりを作ってくれた「祝水」

改めてこの「水」に感謝を捧げ、これからもその「水」の存在を身に宿し、次へと流れて生きていきます。


舞踊家・俳優 金野泰史 拝

「祝水」メモ 2



「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる」
九世英雄

地に沁みないのか?
その水は
待てないのか?
沁みるまで
沁みる地をなくしたか?
アスファルトに覆われて
沁み尽きぬか?
湧き出ずるまで


巡る命を止める文明
シミュラークルに阻まれて
渇いた心は帰郷をもとめ彷徨える

Blue gold、Water War
虚無の数字をあてがわれ
人の命を省みず
水が売買されている

命の水は誰のもの?
水の命は誰のもの?

近年頻繁に起きている
世界各地の大規模な洪水、干ばつ

水の神が溢れて消えて
おおくの命を飲み込んで
おおくの命を巡らして


洗面所の蛇口を
ひねる
右回り

水が出る
とどまることなく
水が出る
今は飲まない
水が出る

雨が降る
穢れを流す雨が降る
恵もたらす雨が降る
溜めて飲めない雨が降る


「水は決して汚れない」
ただ、含むだけ
人の穢れ含むだけ
全ての記憶を含むだけ

地に住む
数多の生命が
世界の穢れを引き受けて
原始に還す
水の源

水の命は誰のもの?
命の水は誰のもの?



世界を映した水滴が
蛇口から一滴
零れ落ちる

水の音が
身に響く
波紋広がり
身に沁みる

過去も未来も洗われて
ただ今ここの
命湧く
すくった水の
姿なさ
二度とすくえぬ同じ水



予感する
期待せずに
耳澄ます

振り返る
水の音

蛇口を
ひねる
左回り






《地脈》


一滴のはじまり

はじまりの一滴

一滴の水

一滴の命

一滴の雨

一滴の血

一滴の死

一滴の川

一滴の悲劇

一滴の海

一滴の憤怒

一滴の波紋

一滴の歓喜

一滴の音

一滴の愉楽

一滴の惑星

一滴のひとり


それは
降り続けている
したたり続けている
流れ続けている
姿なき一滴


生きつもどりつ
逝きつもどりつ

雫へ溜まり
雫に堕ちる


水を飲む
純も不純も
混じることなく
分かつことなく
咽喉降りて
しみじみる

数量化されずに一滴
個体化されずに一滴

地にしたたり
地からしたたり

湧き上がる一滴に幾千幾万の時流は巡り恵まれ
ぽつぽたり

潤える身に
潤える心

垂れる一滴
芳しく
地に沁み入りて
行き渡り
天地繋げし
脈々と
目から零れる
一滴の
同じ水にて
巡ります
不可視の地にて
巡ります






「祝水」メモ




「未知の水」


ふと、思った。

私は「水」を見たことがあるのだろうか?
私は「水」を知っているのだろうか?

降り落ちる雨
ガラス窓の水滴
水溜まりの波紋
傘叩く雨粒の音
裾を濡らす泥水

私の知りうる「水」
それらの「水」とおぼしき「水」

海、波、津波、河、川、濁流、滝、沢、わき水、沼、湖、池...
それら自然の織りなす「水」の風景

水道水、貯水、用水路、ダム、排水、冷却水、井戸、風呂、シャワー、飲み水、ボトルに入ったミネラルウォーター...
それら文明の形作る「水」の姿

私の前に水がある時
「水」は必ず何かの姿をとっている

だが、ただの「水」
そのままの「水」
ありのままの「水」
...純水...

それらに私は出逢ったことがあるのだろうか?


それは液体では捉えきれない
それはH2Oでは捉えきれない
それは正四面体では捉えきれない
それは19.5度では捉えきれない
分かつことのできない「水」


その「水」に出逢うため
わたしは私の形容を解くことに努める
わたしが人であることも忘れ
自然も不自然もなく
純粋であることが純水とあい通じ
みなもとに届くと予感して

それが私にとっての
水をはふる(祝)ことやもしれないと





身をひたす
未知の水








続きを読む

プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード