「祝水-はふりのみず」に御来場頂いた皆様、ありがとうございました。



感覚の蘇生をコンセプトとするアーティスト、和泉侃
自然に根ざした日本古来の心をテーマとする舞道家、柳元美香

この二人が総合演出する「水」をテーマとした舞台に出演できたこの縁
そして、この舞台を支えて下さった多くのスタッフ、アーティスト、共演者
並びに、会場まで足を運んで下さった多くの皆様方に
多大なる感謝を捧げます

ありがとうございました。


私も、かつての日本文化が有していた感覚の蘇生を探求しながら、現代の身体感覚の可能性も見据えつつ舞台を生きてきました。
それ故に、この舞台と縁を結べたのではないかと感じております。

「縁」のちから
その縁も水が運んでくれたのかもしれません。

「自然はいつも自然に還ろうとしている」

そのちからに出来るだけ抗わぬよう氣を付け、日々生きて来たことが幸いしたのだと、そう解釈しようと思います。

新たな出会い、新たな繋がりを作ってくれた「祝水」

改めてこの「水」に感謝を捧げ、これからもその「水」の存在を身に宿し、次へと流れて生きていきます。


舞踊家・俳優 金野泰史 拝

「祝水」メモ 2



「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる」
九世英雄

地に沁みないのか?
その水は
待てないのか?
沁みるまで
沁みる地をなくしたか?
アスファルトに覆われて
沁み尽きぬか?
湧き出ずるまで


巡る命を止める文明
シミュラークルに阻まれて
渇いた心は帰郷をもとめ彷徨える

Blue gold、Water War
虚無の数字をあてがわれ
人の命を省みず
水が売買されている

命の水は誰のもの?
水の命は誰のもの?

近年頻繁に起きている
世界各地の大規模な洪水、干ばつ

水の神が溢れて消えて
おおくの命を飲み込んで
おおくの命を巡らして


洗面所の蛇口を
ひねる
右回り

水が出る
とどまることなく
水が出る
今は飲まない
水が出る

雨が降る
穢れを流す雨が降る
恵もたらす雨が降る
溜めて飲めない雨が降る


「水は決して汚れない」
ただ、含むだけ
人の穢れ含むだけ
全ての記憶を含むだけ

地に住む
数多の生命が
世界の穢れを引き受けて
原始に還す
水の源

水の命は誰のもの?
命の水は誰のもの?



世界を映した水滴が
蛇口から一滴
零れ落ちる

水の音が
身に響く
波紋広がり
身に沁みる

過去も未来も洗われて
ただ今ここの
命湧く
すくった水の
姿なさ
二度とすくえぬ同じ水



予感する
期待せずに
耳澄ます

振り返る
水の音

蛇口を
ひねる
左回り






《地脈》


一滴のはじまり

はじまりの一滴

一滴の水

一滴の命

一滴の雨

一滴の血

一滴の死

一滴の川

一滴の悲劇

一滴の海

一滴の憤怒

一滴の波紋

一滴の歓喜

一滴の音

一滴の愉楽

一滴の惑星

一滴のひとり


それは
降り続けている
したたり続けている
流れ続けている
姿なき一滴


生きつもどりつ
逝きつもどりつ

雫へ溜まり
雫に堕ちる


水を飲む
純も不純も
混じることなく
分かつことなく
咽喉降りて
しみじみる

数量化されずに一滴
個体化されずに一滴

地にしたたり
地からしたたり

湧き上がる一滴に幾千幾万の時流は巡り恵まれ
ぽつぽたり

潤える身に
潤える心

垂れる一滴
芳しく
地に沁み入りて
行き渡り
天地繋げし
脈々と
目から零れる
一滴の
同じ水にて
巡ります
不可視の地にて
巡ります






「祝水」メモ




「未知の水」


ふと、思った。

私は「水」を見たことがあるのだろうか?
私は「水」を知っているのだろうか?

降り落ちる雨
ガラス窓の水滴
水溜まりの波紋
傘叩く雨粒の音
裾を濡らす泥水

私の知りうる「水」
それらの「水」とおぼしき「水」

海、波、津波、河、川、濁流、滝、沢、わき水、沼、湖、池...
それら自然の織りなす「水」の風景

水道水、貯水、用水路、ダム、排水、冷却水、井戸、風呂、シャワー、飲み水、ボトルに入ったミネラルウォーター...
それら文明の形作る「水」の姿

私の前に水がある時
「水」は必ず何かの姿をとっている

だが、ただの「水」
そのままの「水」
ありのままの「水」
...純水...

それらに私は出逢ったことがあるのだろうか?


それは液体では捉えきれない
それはH2Oでは捉えきれない
それは正四面体では捉えきれない
それは19.5度では捉えきれない
分かつことのできない「水」


その「水」に出逢うため
わたしは私の形容を解くことに努める
わたしが人であることも忘れ
自然も不自然もなく
純粋であることが純水とあい通じ
みなもとに届くと予感して

それが私にとっての
水をはふる(祝)ことやもしれないと





身をひたす
未知の水








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「祝水-はふりのみず」のグランドファンディング!に御協力を!9/25迄!!

※クラウドファンディングとは?
インターネットを通してクリエイターや起業家が不特定多数の人から資金を募ることを言います。
群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語で、
製品開発やクリエイティブ分野などで利用されることが多いです。





9/26に参加する再演の作品

「祝水-はふりのみず」クラウドファンディングを立ち上げてます。

今回新たに様々な息吹が吹き込まれた「祝水」
是非の御協力をお願い致します!
https://camp-fire.jp/projects/view/10114

祝水@サントリー表 




私がクラウドファンディングを知ったのは、どれくらい前になるだろうか?

5年前以上であることは間違いないとおもうのだが・・・

初め、このシステムを知ったときは、芸術などにも、いいシステムだと思い、自分もやろうかと思ったものだった。

芸術の歴史として、その質の向上、発展にかかせなかった大きな要因に、パトロンや旦那衆制度があったといっても過言ではないと思う。

だが今やほぼ存在しないパトロンやら旦那衆に変わるシステムとしての可能性を感じた。

昨今クラウドファンディングの認知度は上がってはいると感じているがどうなのだろう?

また、そのシステムが上手く互いのニーズを満たすに至っているのか?否か?

これだけでも十分に一冊の本が書けそうな内容になりそうだ。



ということで、クラウドファンディング自体の話は置いておき。

「祝水」のクラウドファンディング!

前回の06//11,12は梅若能楽堂の能舞台での公演。

能という芸能の歴史が積み重ねられた舞台空間に乗っての「祝水」

だが、今回は音楽(特にクラシック系)の演奏会の為に作られている空間での舞台。

舞踊作品や舞台芸術の為には作られていない空間。

ということで、一から舞台を組み、舞台空間を作り上げていくとのこと。

舞台経験が無い人には、なかなか想像し難いとは思えども、これはとても大変なこと!

例えば、私が舞台空間、舞台美術だけでも本当にやりたいことをやろうと思ったら、100万200万なんて簡単に飛んでいってしまう・・・そんな世界。

もちろん様々な制約、限度ってものはある。

その中で、どうやってやりくりするのかってことも重要なことではあったりするのだが、

その制約、限度っていうのを、かなりぶっ飛ばした舞台空間を創造しようとしているのが今回の「祝水」

ということで、総合演出の和泉侃くんの言葉を下記に載せておきますので、

リンク先のクラウドファンディング「CAMPFIRE」も見て頂、ご協力いただけたら幸いです。






9/26に公演する作品「祝水 - はふりのみず - 」

の空間づくりには、

様々なアーティスト・作家・クリエイター・デザイナーの方々が関わって立ち上がります。

水をテーマに' 心が原点に還るような体験' を生み出す作品に成るべく、

1からの空間づくりに挑戦しています。

光、衣裳、美術、植物など...

何とかして最後までこだわりを追求して

サントリーホールの30周年を記念する場で作品をお届けするために、

応援してくださる皆様にご協力をお願いしたくクラウドファンディングを決意しました。


購入頂きましたら、非売品となるものを特典としてお返しできるよう、様々なプロダクトを用意しております!

また、12月にはクラウドファンディングに協力してくださった皆様への感謝祭を企画しています。

ぜひ シェア・拡散にご協力をお願い致します。

どうぞ宜しくお願い申し上げます!



和泉侃


「8・15」後記

8/16のメモより


8/15~8/16の間に数本の戦争を背景とした映画を観た。
キルチーム
明けない闇の果て
アウト オブ キリング
自由と壁とヒップホップ
ラスト パトロール
野火
日本のいちばん長い日
ドン・マッカラン 戦場のカメラマン

これまでも様々な戦争映画を見てきた。
その中でも、影響を受けた作品で、パッと思い出すのは「地獄の黙示録」とかか・・・
今年は毎年恒例の「火垂るの墓」は見てない。
(今年は「火垂るの墓」ではない立ち居地で、戦争と向き合いたかったからだ)

それで、今回観た映画で一番ハッとさせられたのが
最後に見た「ドン・マッカラン 戦場のカメラマン」

その訳は、私の「戦争とは何なのか?」という試みに対する、示唆を多く与えてくれたからだ。
他の映画においても、様々な感情、感想は湧き出してきたが、私はドン・マッカランの戦争に対する姿勢、在り方をマッカランの写真、そして逸話を通して、多くを気付かされたのだった。

マッカランは世界の戦場を駆け巡っていた。
そこで、マッカランは戦場という人間が正気を失い、常軌を逸した世界で様々な地獄絵図を目撃する。
その度にマッカランは自問する。
「何のためにここにいるのか?」
そして今も尚、その自問は問われ続けているのだと思う。

そのマッカランの姿勢や在り方は、写真に現れる。
私はふと気付く。
私は戦争のど真ん中の兵士や、渦中の人としての感覚を想像力で埋め「戦争とは何か?」を探そうとしていたと・・・
まったくもって、思い上がりもはなはだしい、勘違い野郎として、戦争を捉えようとしていたことに気付いたのだった。
「明けない闇の果て」以外は、戦場の兵士や、直接的な戦場の住人が登場人物の映画で、やっとマッカランのドキュメンタリーによって、(マッカランは戦場のど真ん中にいるカメラマンではあるが)兵士でも、渦中の住人でもない者の立場としての立ち位置での視点、私が今一番戦争に近づけるフィールドをわきまえる位置というものを、気付かされたのだった。

まったく愚かな話だと感じ入るのであるが、それも私が俳優であるが故の兵士や渦中の住人に歩み寄ろうとする努力であったと自分を慰める次第。
もし、そのような機会があった時は、またその歩み寄りをすることになるとは思えども・・・

しかし、今回の私の試みはその俳優としての歩み寄り方ではなく、
ます、私は戦争に直接的に加担しない者として、また直接的な被害を受けることを拒否する者として、「戦争とは何なのか?」を問いたいと・・・またそのような問いが私にとって必要なのだと思っての試みだったことを、マッカランに気付かせてもらったという感覚だった。

私は戦争を未然に防ぎたいと切に感じる者である。

正直、2011・3・11迄は、普通に世界のどこかで起きている戦争に対して心を痛め、戦争がこの世からなくなるようにと願っていたとしても、戦争とは遠い国のことであり、日本は70年以上も直接戦争をしてこなかった国として、これからも歩んでいくのだろうと思っていたし、またこの国が戦争の出来る国家になる必要性などがどれだけ語られようと、所詮現実不可能なことだと思っていたりしたものだった。

しかし、多くを知り、調べるほどに、日本国憲法が制定された後にも、この国は多くの戦争に紐づいて加担しており、それは近年より直接的な関わりに変容し始め、現内閣はそれをさらに推し進め、戦争の出来る国家にしようと本気であることが分かってくる。
また日米安保、地位協定などのことを知ると、日本は「占領体制の継続」どころではなく「占領下における戦時体制(=戦争協力体制)の継続」であることを知らされる。(「日本はなせ、『戦争ができる国』になったのか」矢部宏治著より)


未だ終わっていない過去の戦争、そして新たに起こされている現在の戦争・・・

「戦争とは何なのか?」

ただただ只管に切実に感じたのは
この設問は一生かかっても手におえない設問であり
一生でも太刀打ち出来ない設問足らしめるものであり
人類の底無き奈落として
無数に口を開け
数を増し続ける
暗い穴
一条の光も無い
暗い穴
風化すること無き
暗い穴
人が如何に忘れようとも
暗い穴

とメモしておく。

「ドン・マッカラン 戦場のカメラマン」お勧めです。Netflixでしか観られないかもしれませんが・・・

プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら



金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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