舞踊家・俳優として新たに出発し、そして改名します。 






舞踊をやり続けるか?辞めるか?

それを自身に問う舞台「しせい」を終え、
自分が定めた目標と、私が執り行えた事実を省みて、選択しました。

私は自分に舞踊を続けることを、
許可しました
いや、躰から許可されたと言ってもいいかもしれない。
(また、二日とも立ち会って頂いた我が師匠からも「続けなさい」との言葉を貰いました)

まだまだ舞踊家として道半ばの者が、辞める辞めないなどとほざくのも甚だしい話であったが、私には一つの大きな分岐点として、必要に迫られ、危機感を持ち、自分に課し、その覚悟、その姿勢を試す必要があったことを、儀礼としての舞台「しせい」に立会って頂いた方々には御理解頂ければ幸いです。

舞台「しせい」という通過儀礼。
舞踊家 金野泰史の生前葬。
そして、変態の儀。

もし、舞踊家 金野泰史を葬り去ることなく、死に切り、生き切り、やり切り、やり抜けず、変態することが出来なければ、本当に辞める覚悟でありました。


よくやったと思う。
自ら定め、決定し、その覚悟、決意、その契りを果たし得たのだと。

今迄に、一人の人間として、これ程まで、逃げ道を閉ざし、多くの人を巻き込み、背水の陣を敷いて成し得たことなどない。
40という節目を目前に控え、本当にやってよかった感じるし、もしこの儀をやらなかったら、またやれなかったら、と考えると、自分の行く先は全然違ったものになったであろうと感じる。

ここで我が生の師匠の言葉を引かせてもらう。

自分のための逃げ道を、一切自分で閉ざしてしまうことだけが、弱い人を強くする。
そして自分で自分に言訳するような、自分に対する見栄をかなぐり捨て、裡の力で行動すれば、
その一挙手一投足は逞しい人間を造ってゆく
。」

「逞しさ」と「浅ましさ」
「浅ましさ」に逃げることなく、上記のような過程を経て、いくらかの「逞しさ」を私は身につけられたのではないかと思う。

ということで、舞踊家 金野泰史は逝き、新たな舞踊家として変態せしめた証として、新たな名を名乗る所存です。

舞踊家 YASUCHIKA


そして、俳優もYASUCHIKAで統一して行こうと思っております。
(制作的な事情で、次の舞台「戦争と一人の女」はまだ改名する前だったりしますが、そこは御了承下さい)

それでは改めて、
変態し得た舞踊家 YASUCHIKAを
今後も何卒よろしくお願い申し上げます。




舞踊家 YASUCHIKA 拝













9/10に舞踊家 YASUCHIKAとしてスタートを切った。

舞踊家 金野泰史から引き継いだライフワーク。
ヨシズミトシオさんの個展の作品の前で踊らせて頂くこと。
そのライフワークが、舞踊家 YASUCHIKAの始まりであったことは、なんと恵まれた舞踊人生なのだろうと我ながら思う。
本気で動き始めれば、「機」を掴む能力は上がるもの…私はそうだと思うし、そう躰感している。

しかも、それだけではない有難い機会も与えてもらえた。
私がやりたいと前々から思っていたことをやらさせてもらえるシチュエーションをも与えて貰えたのだ。

そのシチュエーションとは、誰かの為だけに、純粋に舞い踊ること・・・


 私がヨシズミさんの作品を観ながら、集注を深めていると、声を掛けてくるお年寄りがいた。
「ヨシズミさんの作品の前で踊られると聞いたのですが、その時、写真を撮らせて頂いてもかまいませんでしょうか?ブログに載せたいもので・・・」
とても丁寧に、礼をつくして声をかけて頂いた。
しかし、私はこのライフワークに関しては、観客という存在を必要としないことにしているので、お断りするつもりで、お話をさせて頂いた。
しかし、その方が以前お会いした方で、私のパフォーマンスにとても共鳴し、共感し、深くご理解頂いたHさんだと、ヨシズミさんを通して認識した。

何故私がHさんだと氣づけなかったのか。
それは、私がHさんを認識していた姿とは随分と変わってしまわれていたからでもあった。
その訳はここでは触れないが、随分と印象が変わったのである。

そして、Hさんと改めて話をさせてもらう中で、私は上記のシチュエーション「誰かの為だけに、純粋に舞い踊ること」が頭をよぎったのである。

ヨシズミさんの個展には毎回来られているであろうHさん。

また、何度か私の舞踊も観て下さっており、私の舞踊の質も知っていて、私の舞踊への評価も高く評価して頂けている。
そして、私の舞踊が今のHさんにとってとても大切な時空になるのではないかと、おこがましいが私は思ったのだった。

ヨシズミさんの作品の前で舞い踊るライフワークを終え、ヨシズミさんのパフォーマンスも終わり、私はHさんに声をかける。
「Hさんの為だけに、躍らせていただけないでしょうか?」と
するとHさんはとても喜んで下さり、なんとも贅沢なことだとも言って下さった。



そして、私はHさんの為だけに、ヨシズミさんの作品を背に、舞い踊った。

Hさんの躰と響命している我が身の動きから舞い踊る。
そこだけに注目して舞い踊ることに努める。

とてもエネルギーに溢れた方だということが、我が身を通して観じられ、そのエネルギーに後押しされて、躰は動きを現す…そして動きは収まってゆき、舞は終わった。

Hさんは、本当にとても喜んで下さり、両手を挙げてその喜びを表現して下さった。
また、とても有難すぎる感想も頂いた。

本当に本当に、こちらこそ、有難き機会であった。

そして同時に私は舞踊家として、もっともっと深く主観を消していく必要も感じ、Hさんのエネルギーの影響もあって、その意欲と活力と好奇心がたぎってきたのである。

で、これはオマケだが、次の日はまた禊か!と感じるような出来事もあり、我が身に目に見える形でその出来事は残ることになるだろう。いい記念だ!


ともかく、この舞踊家 YASUCHIKAの始まりの場を提供して下さった、ヨシズミトシオさんとa ri A Ru CreationzとHさん。
誠に有難き場を与えてくださり、有難うございました。

舞踊家を続けられるよう、やり切り、やり抜けて、本当によかったと改めて思う。
また舞踊家 YASUCHIKAとして、こんなにも舞踊家冥利に尽きる始まりを迎えられたことが心底嬉しい。

ありがとうございました!

ということで、これからも精進し、躰を練っていく所存であるので、舞踊家 YASUCHIKAを何卒よろしくお願い致します。





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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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