「自由」と「自在」

 

ふと思いついたことを記していこう。
「直感」のようなものを感じる。
まとめることなく、備忘録として。
それをこのブログで挙げる必要もないとは思うが、自分でも後から探しやすいかもとか考え。
とはいえ、この外部記憶装置に対する信用度は低い。
こんなところに残しておいたところで、電気がなければ観られなくなるし、何かしらの規制がかかってきたら、ドボンだ。

それらのことを踏まえて、ただアウトプットしておくために、儚い記憶として。




シャワーを浴びながらふと思った。

「自由」は誰にでも既にあるものだ。

「自由」という言葉がもてはやされて、どれほどたつのだろうか?
最近では「共謀罪」などが、この言葉がよくよく取りざされる切欠となっている。

そんなこんなで、「自由」は既に誰にも平等にある。
それは、この言葉の文脈に於いてからもそう思う。

「生きる道は天によって完璧に決まっていて、それが故に、完全に自由だ」

これは、漫画バガボンドにも出てくる沢庵和尚の台詞とのこと。

元は甲野善紀さんの
『人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である』
だと思うのだが、違う? まあ、そこはよくないけどいいとして。
(甲野さんの言い回しのほうが、「同時」ってのが入っていて好き)
このブログでもこの言葉は取り上げたことがあるけどれ、それはいいとして・・・

とまあ、こういう文脈において「既に自由」であるという前提があると私は思ったわけだ。
無論、色々な環境がある。
シリアの内戦に巻き込まれている市民の人たちとか、昔で言えば、強制収容所とか、その辺りのことも踏まえたうえでの、
「既に自由である」「自由でなかったためしはない」でもいい。

で、ここから。

上記のことから、「自由」を求めること自体が、おかしな話ということだ。
問題は「自在」

「自由自在」という言葉があるが、これは不可分な言葉だと思った。
問題にするのは「自在」の方。

では、「自在」とはどういうことかというと、
それは「自分の人生の主導権を自分に取り戻す」ということ。

そして、それには意志力と覚悟が必要だということ。


この考えは、まだまだ更新されていくと思うが、今の私がふとそう思ったということ。






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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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