「祝水」メモ




「未知の水」


ふと、思った。

私は「水」を見たことがあるのだろうか?
私は「水」を知っているのだろうか?

降り落ちる雨
ガラス窓の水滴
水溜まりの波紋
傘叩く雨粒の音
裾を濡らす泥水

私の知りうる「水」
それらの「水」とおぼしき「水」

海、波、津波、河、川、濁流、滝、沢、わき水、沼、湖、池...
それら自然の織りなす「水」の風景

水道水、貯水、用水路、ダム、排水、冷却水、井戸、風呂、シャワー、飲み水、ボトルに入ったミネラルウォーター...
それら文明の形作る「水」の姿

私の前に水がある時
「水」は必ず何かの姿をとっている

だが、ただの「水」
そのままの「水」
ありのままの「水」
...純水...

それらに私は出逢ったことがあるのだろうか?


それは液体では捉えきれない
それはH2Oでは捉えきれない
それは正四面体では捉えきれない
それは19.5度では捉えきれない
分かつことのできない「水」


その「水」に出逢うため
わたしは私の形容を解くことに努める
わたしが人であることも忘れ
自然も不自然もなく
純粋であることが純水とあい通じ
みなもとに届くと予感して

それが私にとっての
水をはふる(祝)ことやもしれないと





身をひたす
未知の水

















たとへば本心は水の如く一所に留らず、妄心は氷の如くにて、氷にては手も頭も洗はれ不レ申候。氷を解かして水と為し何所へも流れるやうにして、手足をも何をも洗ふべし。心一所に固り一事に留り候へば、氷固りて自由に使はれ申さず、氷にて手足の洗はれぬ如くにて候。心を溶かして総身へ水の延びるやうに用ゐ、其所に遣りたきままに遣りて使ひ候。是を本心と申し候。

(沢庵宗彭『不動智神妙録』本心妄心)






“Empty your mind, be formless, shapeless ― like water.
 Now you put water in a cup, it becomes the cup;
 You put water into a bottle it becomes the bottle;
 You put it in a teapot it becomes the teapot.
 Now water can flow or it can crash.
 Be water, my friend."

(Bruce Lee)






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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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