8/15



詩が足りない

死が足りない


 8/15を迎えるまでに、読もうと思っていた本は結局半分程度しか読めなかった。
戦争に関する情報や情緒や思想、哲学、プロパガンダ、バイアス、歴史、史実、事実・・・それらを新たに自らにインプットし、そこから紡ぎだされるものを記しておこうと予定したが、結局かなわずではあった。

しかしながら、目標の半分程度の情報や言葉にもかかわらず、情報や言葉を入れれば入れるほど、「戦争」というものが私の中で、どんどんよく分からなくなっていき、「戦争」って何だろう?ということがずっと頭の中で反芻されるばかりになっていった。

もともとの目論見が、安直過ぎたのだ。
今までに得て来た少しばかりの情報とそれ+α程度で、何かしらの立ち位置を定め、戦争を暫定的であるにせよ、修辞的に帰結させようなんてことが甘かったのだ。

そもそも私は経験主義的な側面をもっているので、戦争未経験である人間が、本や映画やネットの情報で、「戦争」とはこんなものだというようなことは言えないと承知はしているが、そんな立場でも、またそんな立場であるからこそ、「戦争」というものが何であるのかということを表すことは重要であり、またこのような答え無きものを、継続して調べ続け、知ろうとし続けることは必要だと感じているのだが、その取り扱う自分の姿勢が、今回の自分の予定に対しては、甘すぎたと感じているということだ。

 だが、その姿勢が甘かったにせよ、調べ続け、知り続けることによって「戦争」というものの輪郭が曖昧になっていった経験は良かったと感じてはいる。
いままでは、もっと少ない層でしか「戦争」を捉えて来なかった自分がいることに気づけたのだから、よしとしようと、やっとこのブログを書きながら思えた。

 何故、「戦争」について、未経験だから思考停止になるのではなく、調べつづけ、知ろうとしつづけることが必要だと感じているかというとを書いておく。
それは、その行為自体が「準備」になるからだ。
「戦争」に対する「準備」または「用意」
戦争という何だかわからない「戦争」に対する準備。
それは、抗うにしろ、渦中に巻き込まれるにしろ、平和を維持するにしろ、希求し続けるにしろ、非戦にしろ、不戦、無戦にしろ、各々の立ち位置、姿勢、状態での「戦争」という波に対する鋭敏さを研ぐことだと感じている。

状況は刻々と変わり行く。そして今の世界は日本は「戦争」の匂いが濃くなってきているのは間違いない。
それに対して、鈍感でいるのか?鋭敏でいるのか?
私は、鋭敏であることを選択する。
だから、調べ知り考えアウトプットを試みる。




詩が足りない

死が足りない




 「戦争」を調べ知り考えて行くほどに、「戦争」はその輪郭を曖昧にしていった
未経験の私においての「戦争」の確かさは殺戮だけだと思う
殺戮というゆるぎない重心、重力場がコアにある調べれば調べるほど肥大し拡散していく巨大な星
文明社会が作り上げた星
距離の如何に関わらず、文明社会に根ざしている限り、その重力場の影響を受け、また影響を与え続ける星
たとえば、地球の第二の衛星として人間が産み出したのか?作り出したのか?衛星
殺戮のコア以外は、観測不可能なダークマター(暗黒物質)の集合体としての衛星
衛星「戦争」

人間が人間を殺戮するという
戦争の現象は分かる
宗教や領土や国家、テロなどの
戦争のトリガーは分かる
軍産複合体というサイクルなどの
戦争のシステムは分かる

だが「戦争」が何なのかは、調べれば調べるほど、私には曖昧になっていく

衛星「戦争」
その重力場は日常に浸透している
それは相互に影響し合い 補完しあっている
衛星と文明
衛星と社会
衛星と人間

観測という行為のみでは衛星「戦争」は捉えられない
望遠鏡に映る景色だけでは不十分すぎる
感じることが重要だ
衛星「戦争」には死臭があるだろう
濃密な死臭が

嗅げ
いつまでも麻痺させること無く
悲惨によって希釈すること無く
より鋭敏に
嗅げ

望遠鏡で数量化された無臭の死に惑わされず
濃密な死を嗅げ
臭いは数では表れない

データ化された文字情報の衛星「戦争」に
臭いは立ち昇らない
だから私は詩を嗅ぐ
臭いたつ詩を嗅ぐ


詩がたりないのだよ

死がたりないのだよ


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Re: その場にいた者

流石我が母!


> 戦後71年目ということで、その当時、戦っていた人間又はその子供、当時の本当の事実を記帳した明確な資料、それらをテレビの情報で知った。満州に移住させられた人達の最後の自決を自らの手で手伝った人、何人もの幼子の首を母親に頼まれて絞めたと。移住に疑問をもちながらも、政府の命令で従わらずえなかった村長は自ら、首を吊った。その息子さんが、村長の日記を持っていた。何も知らされず、満州に渡った多くの人達の死。沖縄での出来事。つい最近まで、生きていた、日本兵とアメリカ兵の絆。兵隊は人間であって、ただ兵器として使われたんだ。
> そして、23年前のpkОの事。カンボジア派遣で命を落とした警察官。日本では戦禍の場所には行かせないといいながら、実際はいつも身近に銃砲はあったのだ。危険だと連絡しても、日本政府は停戦条約は続いているからと、耳をかさない。そのとき実際に派遣された人間が真実を語っていた。
>
> 自衛隊にいた人間が真実を語っているのを新聞で読んだ。人を殺します、なんて宣誓はしていないと言っていた。
> どんどん、戦争に向かっているような気がするよ。
> それなのに、おかんと同じ年齢の人でさえ、軍拡は必要だといってる人間が多いのには恐ろしさを感じてる。
> もっと、今のうちに、戦争経験者、というか戦争に参加した者たちの声を聴くべきだと思う。
>
> 人間は、人殺しをするために、生まれてきたんじゃない。アメリカ兵、日本兵の言葉がある。
プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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