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一週間が経過し「Art Event『5years』へ向けて、ひとりの芸術家としての態度、姿勢、思考、志向など」後記

 

3/19日に上記のタイトルのことをまとめようとしたのだが、どうやら身体はすこぶるくたびれていたようだった。
なんだかんだ「5years」が終わった後も、その後処理やら、他の予定も立て込んでいて、休む暇が無かったので、疲労も溜まっていたのだろう。
抗えない眠りの欲求に従う。

目覚めた時は、夜中なのか、朝方なのか、寝ぼけ眼でスマートフォンを覗く。 ライトが眩しい。
夜更け過ぎだった・・・何やら来ている便りを開封し、返信を済まそうと言葉を綴る、その返信を送信しようとふと時間を見たら3:11だった。

二度寝してもよかったのだが、この作業に入る・・・私は、そういうメッセージには乗る。 そう「メッセージ」だと捉えている。今回の3:11というメッセージ。

ということで、まず『5years』用Twitterをまとめた。
Twitterをまとめてくれるサイトを使って、ただ単純に時系列にしたものだ。
http://togetter.com/li/951935

このtweetにも後記は書いてあるので、それはそこに任せて、このblogで書いたものに対応して少し進めようと思う。
http://newskonno.blog83.fc2.com/blog-entry-475.html

キーワードは、「自分へのdive」「解消」「恥」だろう。

正直、今回ほど自分にdiveしたことはないと思う。

もちろん、今までにこの様な作業は幾度もやってきた。
俳優修行の前から、また俳優修行を始めた頃からはその必要性と必然性を迫られて、より意識的に、それから踊りの世界に入っても、舞踊家として動き始めた時も、身体のことを稽古しはじめてからも、ずっとして来た作業だ。
それは、芸術家としての表現者として必要なことであったし、ひとりの人間としても重要な作業だと思う。
でも、芸術家として自分を立たせてなければ、ここまで自分へのdiveはしなかったのかもしれないと思う。

その今までの経験があるので、自分への潜り方、自分へのdiveの仕方は心得てはいたが、今回は今まで潜ったことがない所まで潜る試みをし、その限界を超えられたと思う。
それが出来たのも辺見庸氏の「瓦礫の中から言葉を」があってのことだと強く思う。
本当に感謝している。

そして、何より「311」があったからだ。

「311」が無ければ、これは出来ないことだった。
私は語弊を承知の上で書いておく。

私は「311」に感謝する。

辺見氏の言葉をここでまた引用させて頂く。
<言葉と言葉の間にカダブルがある>

これを私は自信のtweetになぞらえて言い換える。
<言葉と身体の間にカダブルがある>

これ以上説明しない。 それでいい。 


今回私は、とことん逃げないことを選択した。
そして、それは成し遂げられたと感じている。
故に、一切の後悔はないし、悔いも残していない。
私の舞台を観て頂いた方々には、私は現時点であれ以上でもあれ以下でもないことを言っておきます。

去年の2月に「月」という芝居に出演させて頂いた時に、はじめて「等身大」という感覚を掴んで以来、等身大で舞台に立つことが出来てきたと感じてますが、今回はその「等身大」であって同時に「等身大」でない感覚というものを得た気がする。

そしてこの感覚は「解消」とリンクする。

私は、2011年3月11日で止まっていた私を「解消」した。
逃げず、とことん自分にdiveして、「解消」してきた。
だから、やっと「今の私」と「311」が始まったと思う。
5年をかけて、やっと始まったと。

そして、「恥」も解消した。
「恥」は傷に似ている。
その時期がくれば、しくしくと痛み出す傷

「恥」が解消したということは、その「傷」が経過したと捉える。

それは、私個人が2011年3月11日に負った「傷」が経過したということでしかない。
その私という単独者としての「恥」が経過したに過ぎない。

「311」そのものの衝撃は今もこれからもまだまだ続いているし続く。

舞台で使わせ頂いた、辺見庸氏の詩集「眼の海」からの「死者にことばをあてがえ」の中に、「百年かけて」という言葉があるのだが、私は思う。「百年じゃ足りない」と
もちろん辺見氏の言葉の「百年」は、物理的な数字ではない。ひとつのメタファーだ。
われわれ人間が、想像でき得る範囲での年月であり、個人の一生を超えてもという意味合いもあるかもしれない。


私が自分へdiveして現れた光景
「太陽も月もなくただただ広く白い世界
のっぺらぼうの風景
とりとめない途方の風景」

それは、今もあり続けている
「今」にあり続けている

私はその光景の中に、やっと立てただけだ
ただただ立っただけだ

そうして
これから私は歩いていこうと思う


「・・・・・・私はひとを呼ぶ
すると世界がふり向く
そして私がいなくなる」  「」内は谷川俊太郎詩集<六十二のソネット>62から引用(1953)
(何故だか分からないが、谷川さんの詩が思い出されたので、記しておく)


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プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら


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