鈍感

 

ふと気付く

様々な感受性のヒダを感情のヒダを鈍らせているってことに

芸事やっているから、その鈍らせていることに危機感を感じるんだと思うのだけれど、どうなんだろう?芸事やってない人たちは?

こんなにも多く感受し、感情として表現しようとしている欲求があることを改めて感覚する。

でも、その開き具合でこの社会をサヴァイブしていたら、疲れてしまうだろうね。

これだけ情報に溢れていて、それを取りにいくも、取りに行かないにしても

街を歩けば、飛び込んでくる情報

多分家の中にひとり何もせずいたとしても、

その情報の多量のヴァイヴスにやられるんだと思う

田舎に暮らせばやっぱりそのヴァイヴスからは遠ざかると思うんだ。

実際暮らしたこと無いから分からないけど・・・



鈍らしたものは、受け取らないと思っている人が多いかもしれない。

でも、身体は感じてる

そしてその鈍りは偏りや硬質化へ繋がる

それが病のもとだとしたら、それは病気が教えてくれている



オトナになるってことは、鈍らせることなんだって前にも書いたような気がする

でも、イカシたオトナはそうじゃないんだろうね

鈍らせるんじゃなくって、バランスをとるんだと思う

そして感じた上で、どうアウトプットするかっていう嗜みを憶えるんだろうね

歳を食うと、涙もろくなる

そういうことだと思う



バランスって言ってみたけど

バランスってことじゃないのかもね

バランスって何だろう

バランスっていうより

多層ってことなんだと思う

樹は年輪を重ねていく

大地は地層を重ねていく

アスファルトは地層が重ならないね

イタリアの街は、その下に昔の石畳がそのまま残ってるって話を聴いた。 素敵だ。



掘削して、ぐちゃぐちゃにして、また新しいものを上塗りして綺麗に見せるアスファルトみたいになりたくないね。

重ねて生きたいわ

鈍らせずに



開けば

感情の情緒の濁流が訪れるけど

そこでつくねんと立ち続けられるようにする為に

やっぱり身体を鍛錬したいと思う





(と、とりとめもなくダラダラと書いておく)







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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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