忙しかった4月を終えてのんびりしながら「ひま」について想いを巡らし気付き始めていること



『人生とは「ひま」つぶしである』

ということをネタとして書いたことがあるようなないような・・・

で、今回はこんな切り口で「ひま」を扱ってみたいと思う。



『人生とは「ひま」づくりである』


と・・・


それでもって「ひま」という漢字を調べてみた。

閑 暇 隙

と三つ出てきたわけだが、ついでに「人生はひまつぶし」をググってみたりしたら、いろいろ出てきて面白かったのだが、否定的に捉えられるバージョンと肯定的?に捉えられるバージョンとあったのだが、肯定的バージョンはちょいと、人生について達観的(もしくは諦観的)なニュアンスで捉えられているようで、なかなか考えさせられたりもしながら、根底的に今から考察して行く方向性は「人生とはひまつぶし」というものから出発しており、ある意味の対比であり、「人生ひまつぶし」の範疇からは逃れられないかもかも・・・(笑) って「人生ひまつぶし」を何度も反芻していたら「人生ひつまぶし」ってのも思いついて、「ひつまぶし」食ったな~と思い起しながら、その時の感想が蘇るのだが・・・ちょいと道が外れすぎるので、置いといて。

で、「人生とはひまつぶし」っていうのは多くの著名人も言っているようで

「人生は死ぬまでヒマつぶし」とか「人生は冥土までのヒマつぶし」とか「人生は大いなるヒマつぶし」とかとか

言っている人は、みうらじゅんとか甲本ヒロトとかどうやらブッタさんまでも?みたいな感じなのですが、みうらじゅんもヒロトも好みなので、何だか嬉しくなってしまう(笑)

まあしかし、この「人生とはヒマつぶし」の解釈は、その人の現状が現れてくる面白い言葉だと思いながら、そろそろ小生の展開へ移行しましょう。







『人生とは「ひま」づくりである』


ということなのですが、まず先に挙げた、閑、暇、隙という「ひま」から紐解いていきたいと思います。

上記の名言とされている「ヒマ」と表記したものは大概「暇」という漢字が当てられているのだが、これは「日」と「おおいをかける」という右のやつ(部位?・・・言葉が出てこない笑)で成り立っているようで、仕事をしない時という意味らしいのですが、読み方として「ひま」と「いとま」とあるのですが、「いとま」っていいですね~。「人生、いとまつぶし」ってなんだか新しい技みたいですな(笑)
で、戻って「仕事をしない時」ってことが「暇」のカテゴリーを決定付けていくと思うのですが、じゃあ俺にとって「仕事」ってなに?ってことなんですが、これを扱うとまた長くなるので、もう置いておきます。

で、次!「隙」・・・これは「すき」「ひま」ってことで、現代においては空間的なニュアンスで解釈した方がわかりやすい意味合いですかな? 「すき」ってことにもう少しフューチャーするなら、「すきを見せるな」「すきがあるぞ」みたいな、武道な感じのこともあるので、とても感覚的なところでの「ひま」でもあるのですが、これも何となく把握してもらっといて、

今回一番に取り上げたかったのは「閑」なんですな。

で、福式漢和辞典さんの説明ではこの漢字の成り立ちはこうあるわけです。

『門と木とを合わせて、入り口に渡してふさぐ横木の意を表す。ひいて「ふさぐ」意、借りて「ひま」「しずか」の意に用いる。』

それで意味としたら、「しきり」「ふさぐ」「ふせぐ」「さえぎる」「かぎる」(限)「かぎり」「のり」(法)規則「ひま」←やっとでてきた!「しずか」(しづか)閑静「ならう」「なれる」習熟する・・・といったカンジだそうです。

それでもって熟語かいいわけです。

閑雲野鶴(カンウンヤカク)静かに浮かぶ雲と野に遊ぶ鶴。世俗にわずらわされす、のびのびと暮らす境地。(間雲弧鶴)

閑花(カンカ)ひそやかに咲く花。上品な花。

閑雅(カンガ)落ち着いていて品がいい。しとやかでみやびやかなこと。

閑適(カンテキ)心静かに楽しむ。やすらかな気分。

などなどいろいろいい感じ~なんですが、あんまり良くないな~というのもあります。

閑人(カンジン)ひまな人。用のない人。

閑職(カンショク)重要でない役。ひまな職。 

などなど・・・まあ後は捉え方の問題なんですが(笑)


そんなこんなで「ひま」を「閑」で当てて行きたい訳なんですが。

もう一度成り立ちに戻ってですね。

門に横木を渡すと書いてありますが、私のイメージでは茶道の止め石または関守石(留め石、関石、極石、踏止石)なんですね。
見たことない人もいるかもしれませんが、
こんな感じです。

後は、ご自分でお調べなさってください。

それで、これって言うのはある種の結界作りでもあるわけでして、大そうな壁を作る必要もなく、ただ石を置けばいい話なんです。
それが、その先は行ってはならないっていう感覚を作ってくれるのですが、残念ながらこれが分からない人は現代人では多々おりまして(笑)、これが文化の消滅でもあるわけなんですが、止め石置く方がちゃんと感覚を伴って置けば、ある程度身体で感じてくれるなっていうのは、先日試してみたのですが、実感しました。 まあその中で、どんどん踏み越えちゃう残念な方もおりましたが(笑)

でこの流れで、感覚の話なのですが、人間同士、または生命同士の嗜みで

「侵略せず、侵略されず」という関係性があるのですが、この止め石の感覚もこの嗜みに付随するものです。

現代的に分かりやすく言えば、距離感みたいなものですね。
「あいつ距離感近いんだけど」って感覚は、要は自分と相手の関係性の中で、相手が自分のエリアに入り込みすぎていると感じる距離感で、この例えだと、相手が距離感ないから悪いっていうことにしておきますが、最終的には自分の「すき」(隙)があったが故のことでもあるので、どちらが善い悪いでもないのですがね・・・

またこの人間関係で言えば「寄りかからず、寄りかからせず」っていうちょいと別のレイヤーにも入ってくることなのですが、これは置いておきましょう。


さてさて、「閑」に戻りましょう。

「閑」から「止め石」と来ましたが、この結界づくりというのは、遮断ではないということを言っておきたいので、もう少し。

まあ、ある種「遮断」ではあるのですが、大そうな壁もないので、その門からは世間は見渡せるわけです。
「見ざる、聞かざる、言わざる」って訳じゃないのです。

で、ここでまた道を外れますが、「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿には四匹目がいる!みたいな。

その四匹目なんですが「しざる」らしく、股間を押さえてるので「禁欲」とのことなんですが、ルーツ的には無礼を「しない」ってところから来てるみたいです。で、四匹の「四」は「し」=「死」なので、ほとんど三猿らしいのですが、自殺者が公式では3万人を超えている日本において(11万とかいう説もあり・・・)四匹目の「しざる」は「死ぬな!」っていう猿を登場させてもいいのじゃないかと思いつつ、この自殺者の問題も政治経済、薬物、精神医学とか絡んでくるので、ここでは置いておきます。

はい戻ります!

で、遮断ではあるのですが、遮断ではない。外であるのだか、内でもある。内も外もない・・・

ということではしょります。(笑)


随分と長くなったので、もう結論行きましょう!



「人生とは閑づくり」である。




ということで、ここを一つ決めさせてもらいます。

芸術、芸人やっておりますと、閑がないとダメなんです。 
こうやってこのブログをダラダラかいているのも、閑がないと出来ない。
閑といっても私にとったらこれはある種の仕事であるのですが、世間一般の「仕事」という概念をもってきて言えば、

「仕事」というのは「金」を稼ぐことだと思うんですが、いかんせん、金を稼ぐことを私は副業でもってまかなっており、その仕事は芸術、芸事、はたまた生躰研究とは直接的に結びつかないわけなんです。(芸術、生躰研究で多少の稼ぎはありますが・・・)
なので、そこに時間をとられると「閑」がなくなる。

「閑」の中で育まれる私の生業。ということなんですね。

これって私の場合は特に強いわけなのですが、これって他の人にも当てはまるのかな~と思うわけです。

あなたの仕事は「生業」ですか? 

その私の意味する「生業」とは生命活動ってことなんです。 本来の人間の目的って生きることそのものだと私は思っているので。

じゃあ生命活動って何?ってことで言えば、生命が悠々溌剌と動いているのを感じることです。 感じれば自ずと身体も動きます。
悠々溌剌と動いていれば、病気や怪我もするかもしれませんが、生き生きとしちゃうってことです。

生きとし生けるものは、悠々溌剌と生き生きするようになっている

これは真理です。 それは「ひそやかに咲く花」閑花がそれを教えてくれます。 

ただそれだけ

っていうかそれ以外に何か必要でしょうか?



私もそうですが、「それ以外」が必要だと思わされている人間です。

その「それ以外」に頭を悩まし、心が乱れて、身体が偏り、あくせくしております。 

でもそれもよいと思うのです。

そういう経験はとてもあり難いものです。

退屈なんてしている閑がないくらい(笑)

それでも退屈する時もあります

やることは山済みなのに退屈するんです

そういう時もありまさ~な(笑)





そんなこんなで



「人生とは閑づくり」

 


心静かにおだやかに、自分の生を感じる時間を作りましょう! 

その時間が人生を豊かなものにすると思うのです。

そういうキッカケづくりに芸術はとても重要な役割と思ってます。


体験型は小生のWorkShopへ~(笑)と宣伝です。











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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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