明日に控えた本番「かたかた」 ~我々は何者か、そして何処へ向かおうとしているのか~についてあれやこれや考えて



明後日の本番の詳細は
こちら
HPがグレードアップしているので是非!

小生のこのブログにもアップしておりますが、よろしくお願いします。






ということで、『 かたかた ~我々は何者か、そして何処へ向かおうとしているのか~』というタイトルについてあれやこれや考えてみたものをダラダラと・・・

「かたかた」については、オーガナイザーの恒星氏に聞いていただいて、

副題の方を考えてみたいと思うわけです。


「我々は何者か」? ・・・・非常に難しいですね。何者なんでしょうか? 人間であることは間違いないとは思うのですが、その人間とやらも、どのようにカテゴライズされているかによって、人それぞれありますわな。
今ここでも「人間」と「人」とを使い分けているわけですが、その意味合いにおける違いが出てるわけなんですが・・・これをただの言葉の違いといえばそれまでですが、それじゃ豊かじゃないと思うわけなんです。
例えば、文学上の表現においての違い、はたまた表現者による様々な違いはその都度(TPOによって)発生することで、それは重要なことであるわけです。 
私もこのブログで、「人間」と「人」との違いなどを書いていたりするのですが、やっぱりあるレイヤーというか、世界の切り取り方によって大きな違いが発生したり、しなかったりするわけです。

その世界の切り取り方として、例えばガイア論的なことをもってくれば、我々=人間は(癌細胞あらため)ポン細胞な位置づけが出来たりするわけで、その文脈から派生するならば、性善説か性悪説的なことにもなり、ポンだとするなら、性悪説でルシファーみたいなことになる流れなわけですね。

そんな二元論的なところに陥りがちなのは我々の常ですが、そういうことは今日のところは避けておいてですね(笑)、次へ。

あっ、一応というか、本番での「我々は何者か」っていうことの位置づけは決めてます。がそれはここでは言いません。
観に来てくれた方には、聞かれれば答えますが(笑)

で、次!
「そして何処へ向かおうとしているのか」?っていうことなんですが、私が思うに、皆さんの好きな方へ向かえばいいのじゃないかと思うわけです。 「好き」でもいいのですが、「行きたい方へ」「生きたい方へ」向かうのが一番いいと思うんです。 とっても簡単なんだけど、とっても難しくしてしまう人が多いと思うのですが、と言っている私も難しくしている一人なのですが(爆) 

本当に行きたい方へ行けばいいと思うんです。

私もそれについては常々考えてしまいます。 考えるな感じろ!と自分に言い聞かせながら。

そして実際に行動に移し、そこで感じ、考えながら歩んでおります。

そんなこんなで、思うところとしましては、唐突ですが「『今』しかないね」って感じなんですよ。

「何処へ向かおうとしているのか」?ってことは過去・現在・未来っていう構造概念の未来のことではあれど、でもそれを思考し、感じているのは「今」においてなわけなので、「今」しかないってことなんですよね。
だから「今」にベクトルが向かえば、自ずと構造概念の未来という「今」も決まってくるってな感じですかね。

ということで、ちょいと「何処へ向かおうとしているのか?」に対しての返事は「今へ向かおうとすればいい」っていうことになるわけなんですが・・・

っていうこの返事は、我々というマスの主語、英語で言えば「We」を、我々という個人の抽象化した主語、英語で言えば「 I 」に転換しての返事なので、もう一つの、我々Weについても書きたいと思います。

「我々は何処へ向かおうとしているのか?」ってことになると、まず言いたいのは、破滅に向かってます!ってことなんですが、とりあえずそれは置いておいて(置いていけないのですが・・・)

「我々は・・・」ということで、生命を最重要事項として考える生躰研究家として思うところとしては、人間も一生命体であるわけでして、そのような世界の切り取り方をすると、さっぱり何処に向かうかなんて分かりません!

ってことなんですが、私個人の望みとしては、いい方へいってほしいのですが、まあイイ、ワルイも分かりませんので、イイ、ワルイではなく、これ以上無下に生命が奪われるようなことがない方向へ言って欲しいということを切に願っておる次第なんです。

でも、大きな目で観れば(大も小もないですが、便宜上)、それを望むことも、もしかしたらおこがましい話で、生命に委ねるしかないと思っている私もいますし、理想主義者としては皆が望めばそのような方向へ行くとも思ってます。 (まあ、今の我々の頭主義のレベルではそうとう時間がかかるかと思いますが・・・)


で、生命は根本的に響命して動いているわけで、さまざまなレイヤーで蠢いているわけなんですが、例えばこんな感じです。



この様な動きが、量子レベルから細胞、個体、環境、地球、惑星、宇宙と連綿と続き、響命しとるわけだと私は思っているんです。 (というか事実なんですが・・・と言ってしまってもいいのですが笑)

これは、もう今の人間様には認識出来る範疇外のことであって、これ自体の方向性ってことになると、さっぱりってことなわけなんです。

ただですね、私思うに、これは響命と書いているように、命、生の動きなわけでして、無下に生を蔑ろにするような方向性ではないと思っているわけです。

だって、生そのものの動きなわけですから! 蔑ろにしようもないわけなんです。

で、この動きの中で、例えば死という結果が出たとしても、私は「全然かまわん」っていうことは覚悟しておりまして、むしろ死という結果を迎える際は、かような動きの響命のヴァイブレーションに乗って、次のレイヤーに移行するぞと覚悟しているんです。

と何だかワケワカメな感じになってしまいましたが、ぼんやりと上記のことから、「我々は・・・」の一つの返事を導き出すなら「知らん!」ちゅーことです(爆)

まあ「分からん!」「知らん!」から面白いわけで、ワクワク出来て、明日が来ることも信じられて、生きて生けるわけなんだと思っております。

で、一応というか、明日の「我々は何処へ向かおうとしているのか?」ってことにおいては、これまたちゃんと位置づけはしておりますので、これも上手いこと答えられるかどうかは知りませんが、演劇におけるリアリズムな感じて、位置づけておりますので、明日観に来ていただけて、聞いていただければ、お答えできる範疇で答えたいと思います。 





ということで、明日お時間がある方は、是非古河までおいで頂ければ幸いです。


最後まで読んでいただいた稀な方、有り難うございました。







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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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