和尚

ある和尚は旅中である時、一婦人を背負うて川を渡した。
宿についてから同伴の僧の曰く
「貴僧は、身の僧籍にあることも忘れて婦人を負うなどとは怪しからぬではないか」

和尚、笑うて答えたのに、「君はまだ女を負ぶっていたのか。わしはとっくにあすこへ下ろして来たのに」


心に滞り捉われがなくなると、いのちの働きは無碍(むがい)となって、人は自ずから健やかとなり、康らかとなる。


我が「生の師匠」の文章を、僣越ながら抜粋させて頂きお借りしました。



「心の滞り捉われ(囚われ、拘われ)」=「呪」

「呪」を解くことが、人生の問題集と言っても過言ではないような気がする。

今日はブッタが「悟り」をひらいた日。

ブッタさん貴方はその問題集を全て解いたのでしょうか?

そうして次に「説く」ことの問題集を手にしたのでしょうか?




心の滞りとらわれを解くには、やはり能動よりも受動かな~と思う。

最大の受動は能動に転ず。


私の呼ぶところの心は、とらわれの滞りの分厚い皮のように思える。

「無心」…そう考えると、腑に落ちる言葉である。


皮の取れた「心」

その「心」と出会いたいと純粋に思う。

その時世界はどんな風に私の「心」に映るのだろうか?






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No title

話の内容はよくわからんかったけど

短期と長期のバランスがあって

基本的に瞬間では 短期で見ることが多いと思う

その上で 今 俺らが考えたり感じたりしとること自体が

長期で見たときにどんな変化・成長をして

どんな形に行き着くのかは 

俺自身の楽しみ
プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら



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