スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

愚者


今年一年をまとめようと、いろいろ考えていたのだが、どうも上手くまとまらない。

いろいろなテーマをここに書くことなく、抱えたままこんがらがっているのが現状だ。

今年においてのテーマの多くは、ダークサイドのテーマが7,8割は占めているだろう。

世間といっても、狭いネットの世間だが(本来はとても広いのだが・・・揶揄も込めて)、ダークサイドの事柄が多く書かれ溢れ返ってきていると感じるのは、ただ私の重要度が変化したせいかもしれないが、そのおかげで随分とダークサイドのことが見えてきている。

今まで、陰謀論だとか、噂程度にとらえられていたことが、実は本当のことであって、さらに想像以上にそれらの触手は私達の日常に深く根ざしており、もう手の付けられないような状態にあるということが分かりつつある。

私はそれらを知れば知るほど、絶望的にならざる終えない。 
「本当に、救いようがない・・・」と

そんな想いにとらわれていたある時、ふと思い出した。
私の俳優の師の演出する劇団の芝居はいつも分かりやすい希望的なものを提示しなかったことを。
私はどうせやるのだから、最後には希望がないと嫌だとおもっていたのだが、
私の俳優の師は、「そんな簡単な希望なんて必要ないんだ」というようなニュアンスのことを言っていたのだが、
今の私には、その想いが凄く分かる。

簡単な希望なんて、今の世の中に提示しようが無いのだ。 
それほどまでに、この世界はまずいことになっていて、救いようがない。

こうここで言っても、そんな言いすぎだわとか思われるだろう。
それも仕方がないと思う。

私だって、まだまだその悲観的未来感を受け止め切れてないし、実感できていない。

しかし、実際に世界で起こっていることや、様々なニュースを見ると、ダークサイドの影響があらわになっていたりするのだから、知らない振りをするかしないかの違いでしかないわけで、その二つの選択肢のどちらを選ぶのかは個人の問題としか今はいえない。

知るか?知らないか?
または
見るか?見ないか?
または
聞くか?聞かないか? 

そんなことを言っている私でさえも、まだ見ようとしていなかったことに気づいて、愕然としている。
世界の問題は、私の生活のほんのささいな中に確実に提示されていることに気づいたのだ。

そのキッカケは
「ブルー・ゴールド」というドキュメンタリーだった。

以前から水の問題は知っていたし、日本も麻生太郎の「日本の水道はすべて民営化する」といった発言や、松山市の水道の民営化の問題もあることもしっていたが、世界で起きている水問題の状況はもっと過酷になっていることを知ったし、それによって奪われている多くの命も知ることが出来た。 
そして、その問題が凝縮されているのが、我が部屋にあるペットボトルの水でもあるのだ。

昔は水を買うなんて考えられなかったことが、いまやあたりまえとなりつつある。
その考えられなかったことが、あたりまえに変化する中で、失われているものがあり、多くの問題があり、また生み出している。
それは、便利なものでも同じだ。 
携帯電話からスマートフォンが発生しなければならなかった問題があり、発生したことで失われたものがあり、多くの問題が生まれている。 

悲観的な方向でしか見ていないように思われるが、そうではないと思う。
それは、見ようとするか見ないとするかの違いでしかない。

ある物が発生するということは、それが必要になったから発生するのであって、必要がなければ発生しないのである。
そこには必ず、失われるものと、得られるものがあるのだが、この両方を見る必要があるということを忘れてはならないということでしかないとおもう。

そしてその喪失と獲得の関係を長期間で、考察することも重要なことだ。


そんなことを考えていて思うことは、今のこの世の現状というのは、短絡的な思考で、得られるものだけを求めてきた結果であると思う。

その代償は、我々人間、そしてこの地球の多くの生命をも犠牲にしているのだ。

そしてつくづく思ったのだ、私達は愚かだと。 
性善説、性悪説というのは語られるが、わたしは善悪ではなく、性愚説というのが適切ではないかと・・・

いや、言い間違えた。
私達ではなく、私は愚かだということだ。

今の私が、必要なのは、愚者であることを徹底的に知り、受け入れることからはじめなければならないと思う。
そして愚かな人間の行為が、私の生活、私の意識、思想の中に潜んでいることを認識し、受け止めてからでないと突破口は見当たらないと思う。

しかし皮肉なもので、私は個は全、全は個などとのたまわったりするのだが、その個と全のつながりが、生活レベルの実感として感じられるのが、先の水の話からにしてもなのだが、愚かさを通して、私と世界がつながっていることを知れたのは、失われたあまりにも多くの犠牲の上に成り立ったものであることに謝罪し、またこれから生まれてくる未来の命、また生まれてくることを奪われた命、地球という命、生へ贖罪するためにも、根拠のない希望を抱きつつ(根拠のある希望もあるのだが・・・根拠ない希望というものが生でもあるかと思いながら)来年も歩んで生きたいと思う。






とにもかくにも今年一年、お世話になった方々に深い感謝を! 

来年もよろしくお願いします。






コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。

金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。