風とチカラ


1っヶ月もほったらかして

言葉が纏まらない 無理して纏めようとしても浮かんでこない

言葉はボロボロこぼれ落ちて 残るは言葉にならない想いだけ


なんでしょうね~。このブログで人に何かを伝えようと思っていたりするものだから、

そんなプレッシャーを感じているわけなんです。

まあまあ、自分のブログ何だから好きなようにすればいいんですけどね。

でもこのパブリックな場に乗っけているってことは、やっぱり責任が伴うわけなんですよ。

何があっているのか、まちがっているのかって、そういうことも大いに関係していて

情報ってやつです。 なんでしょうね~情報って。

まあ、そんな感じでカオスっている頭の中を整理する為に、このブログも使いましょうか?

ってそのカオスを整理する言葉を失って久しいわけなんですが・・・







宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観ました。

テキストとなった堀辰雄さんの
風立ちぬは読んでないです。

堀越二郎さんのことも、この「風立ちぬ」を観て知りました。

端的な感想として、私は宮崎駿監督の作品が大好きなものですから、そしてこれが最後の作品ですから、色々想いもありまして、単純に面白かった、つまらなかったって言えないですけど、「よかった」と言っておきましょう。

でもまだまだ私の中でいろいろ分からないこと、考えたいこと、感じたいことが多く詰まっている作品でありまして、一回こっきりじゃ分からないんです。

上の堀辰雄や堀越二郎、ポール・ヴァレリーのこともありますし、時代の文脈もありますし、「風立ちぬ、いざ生きめやも」という未だ物議をかもしている有名な詩句もありますので、DVD出たらもう一度観ます。


上の「風立ちぬ」のCFで、
「たあれが、風をみたでしょう 僕もあなたもみやしない けれど この葉をふるわせて 風は通り抜けていく・・・」と言っとるわけですが、庵野さんいいですね~。

で、「風」なんですけどね。 風はだあれも見えないわけです。

風を聞くことも出来ないわけです。 言うなら、触覚で風は感じられるわけか。 匂いもあるでしょう。

ちょっと横道にそれますが、概念と感覚(五感)の区別を養老孟司さんが、分かりやすく説明してくれているんですが、
養老訓という本に書いてあります。 とっても分かりやすく書いてあるし、この本自体の内容も素晴らしいものですので、良かったら読んでみてください。 今の日本に重要な要素、テーマが書かれてあると思ってます。


で、「風」に戻って

最近藤野ってところに行きまして。 私の友人が藤野へ移住したものですから、そこへ遊びに行きまして、私の家から電車で1時間半位のところなんですけど、アーティストと呼ばれるような人たちが移り住んだりしている場所だったりする自然溢れる場所で、要は田舎なんですけど、個性豊かな人たちが集まっていたりするわけでして、いろいろな人や場所や出来事を紹介してもらいました。

今年は残念ながら山登りに行けてなかったものですから、都会ストレスが溜まっていたので、藤野で解消させてもらったのですが、やっぱり緑豊かな自然の中に行くと、いいもんだとつくづく感じてしまって、環境因子ってのは人にとって大きな影響があるな~と普通に感じてしまうわけなんですが、改めて都会と何が違うかっていうと、「当たらない」ってことなんですよ。

環境も人も「当たらない」。 
都会は「当たる」わけなんです。もっと言えば「ぶつかる」

都会っていうのは、人間の構造物が優位に立っている街な訳でして、そういうところのエネルギーの形成のされかたって「当たる」「ぶつかる」ことで渦巻くエネルギーなんですよ。 一つ言うならば、「争い」というキーワードも出てくる訳でして、人も当たってなんぼ、ぶつかってなんぼみたいなことになっていると思うし、それって疲れちゃう。 単純に人ごみって人と人が当たるんですよ。 実際にぶつかったりもするし、そうじゃなくても、感覚の方向性がぶつかり合ったりするわけなんです。 
そんな渦中にいると、私もどうしても引っ張られて、ガンとしてしまうんですけど、修行が足りないな~と振り返ったりしている始末です。 

ってこのことをまた言い始めると長くなるので、とりあえず「嗜み」があればいいんですけどね。ちゅーことで、「風」

で、藤野の自家有機栽培をしている素材を使って料理を提供しているレストランにいったんですけど、美味しかったです、特にゴマアイスが(笑) 一切砂糖を使わずに作っていると言っていたので、驚きの美味しさだったのですが、そこのレストランの眺望が良くて、やっとたどり着きました「風」。

そのレストランから山並みがみえて、竹が生えていたりしたんですが、その竹が風に揺れとったわけなんです。

その竹の動きをず~とぼんやり眺めながら、いろいろ思い浮かんでたんですけど、「・・・けれど この葉をふるわせて 風は通り抜けていく・・・」に繋がってくるわけなんですが、

風は見えないチカラということです。

そして通り過ぎていく・・・本当のチカラというものは「通り抜ける」

「通り抜ける」ってことは「当たらない」 

いやいや、竹が動くってことは風が当たるから動くんでしょってことを言いたい人はいると思うんですけど、そういうことじゃないんですよ。

ずっと観ててみれば分かりますから。 風が吹いているから竹が動いているのか、竹が動いているから風が吹いているのか、どっちか分からなくなりますから。 

そういう現象を都会にいるとどんどん観なくなるし、感じなくなる。 

やっぱり私の最大の師匠は自然の風景であるな~と改めて感じさせられました。


風の景色。



そしてこれからの時代に重要なことは、その見えない力、ミエナイチカラだとおもうんです。 

ある意味放射能も私たちには見えないものです。 数値では分かるかもしれないけれど、実際に見えない。
情報も実際には見えない。
風もミエナイ
宇宙もミエナイ
生命もミエナイ

ミエナイチカラ

それをどう扱っていくか。

そのためにはまず感じなくてはいけなんです。体験しなくてはいけないんです。

時間はあまりないです。 私はそう感じています。 正直手遅れだと思っています。

でも、そのミエナイチカラを私は追い求めて生きたいと思ってます。








それでも菜穂子は「生きて」と言った。  「風たちぬ」の話です。

「生きて」だったかどうかちゃんと覚えていないんですけど。 ちょいとネタばれになっちゃいましたかね?ご勘弁を。

とにもかくにも 「風立ちぬ いざ生きめやも」なんです。

 


そんなこんなで、荒井由美の「
ひこうき雲」をちょいちょい聴いちゃう今日このごろ(笑)
 








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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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