2年目の3・11


あれから、2年が経つ。

私はあれから何に気付き、どう変わったのだろうか?

色々と考えてはみたのだが、明確な何かというものは言語化されることなく、モヤモヤと私の中で浮遊している。


もっとこのことについて時間をかけて向き合うことが必要だと感じるが、このブログに落とし込むまではまだ時間が足らない。あちらこちらに思考は飛んで、収集がつかないのが現状だ。 

そんな中、幾日か前から、私の好きな誌のフレーズを思い起こしていた。


「普通ってのは真綿みないな絶望の大量と

鉛みたいな希望の微量とが釣り合っている状態で・・・」


「普通」というのが、穏やかな日々だとしたら、もうその穏やかな日々というのは終りを告げている。

私の中で3・11以降分かってきたことは、真綿のようであった絶望が鉛のようにしっかりと重みをもって凝縮され、目の前に立ちふさがっている感じだ。

翻って、希望の方というと、鉛みたいな希望が、真綿のようにふわりふわりと空中に漂っているので、その端を掴んで糸を紡いでいないと、すべて飛んでいってしまいそうな感じがしている。

そんな状態が、釣り合いが取れているかいないかと言えば、今までの考え方では当然釣り合いがとれない。

でも私はこうして生きており、動いている。 

それは少しだけ真綿の希望の糸の紡ぎ方をおぼろげながらも行っているからではないかと思う。


あまりにも抽象的ではあるが、とりあえずここで一度しめます。





『不謹慎』

これが今も私の中でKeyWordとして響いている。

それは、不謹慎であることを目的とするのではなく、結果としての不謹慎さだ。

目的は揺るぎない切実な必要性に駆られて発する言葉や行動だ。

私は何が出来たのか?
私は何をするべきだったのか?
その為の準備として日々どのように過ごしていくのか?


そう考えてみるも、全く今でも思い付かない…

それならそれで良いとする私自身に問うべきものがあるのだろう。



私はこうして今も生きている。


それが唯一の今の私の確かさだ。

「生きている」ことの確かさ。

それも正直いえば、曖昧模糊としているのだが、曖昧さのなかでも私が生きていることには確かさを感じている。

それだけが私を私たらしめる。




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プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら



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