「効率的であればあるほど服従的な身体から逃亡せよ!」 覚書




最近、効率的というワードにひっかかる。

効率的であればあるほど「良い」という観念が世間では横行しているように感じる。
果たしてそうだろうか?
世間での(また私個人の中での)効率的とは時間や空間を縮めることのように感じる。
「世界はどんどん小さくなっていく」
そのようなものをテーマにした、芝居を思い出す。

効率的という言語自体がどのような意味合いにおいて私の中でイメージされているか?

まだこのことについては多くを考える必要があるだろう。
その考察のための覚書。







自身のプロフィールでもうたっている

「効率的であればあるほど服従的な身体から逃避し・・・」


における現在の分かりやすい概要


○効率的・服従的の前に「社会的に」と付けることによって分かりやすくなる。

「社会的に」に「システム」を付けるとより明確になる。

私の身体観における社会的見方とは?・・・



○効率的という言語が、もてはやされてきたのは産業革命後、日本では高度成長期からではないか? 
機械化、大量生産、大量消費・・・


○効率的=機械化。 身体が効率化されるとは、身体の機械論、または物質論

身体を客観的事物として扱わないのが私の身体観である。 故に現行とは相反する。


○社会システムに服従的な身体とは、身体の不自由。 

身体の不自由ということは、生命の不自由。 
身体が不自由である限り本来の自由は獲得できない。 
それは精神や欲望が如何に自由であろうとも、身体が拘束されていれば、自由ではないし、服従させたい者たちにとっては、身体の自由さえ奪ってしまえば、何も怖くはない。 

支配者層が民衆をコントロールするためにまずやることは、身体の自由を奪うことである。 
これは定説。
精神やら欲望を自由にさせておいて、気づかれないように身体の自由を奪うのである。


○効率的という言語

効率的という意味合いを、私なりに言い換えれば、「楽にできる」ということだ。 楽々悠々でもいいのだが。
こう言い換えてみると、効率的と楽に出来るの間では大きな隔たりが発生している。
楽に出来るということは、必ずしも効率的ではないからだ。 

もう少し効率的に近い意味合いの言葉を探すなら、「段取りよく」だろう。 
複数で何かの目標を達成する場合、個々の能力を如何に引き出し調和させるかが肝要である。 
しかし、効率とは単純に個人を差し置いて、仕事量で換算されるので、必ずしも「段取りがよい」とは言えない場合が多々発生しているはずである。 

言語として「効率的」ということが、実は日本語において、他にも幾つかの言い方があるということ。
言語の単純化、単一化というのは、身体の自由を奪うことである。
便宜的に多くのニュアンスを総じて「効率的」「効率化」としてしまうこと。それ自体が「効率的身体」を助長するものである。
そのような傾向にある日本語は、言葉それ自体の危機のみならず、身体の自由度の危機にも無論繋がる。






家畜化される人間。 それを助長する効率的な身体。





覚書

 

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プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら



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