人は分かり合えない

尾道で出会った、香味喫茶ハライソコーヒーのマスター吉崎さんと、とても素敵な話をした。

その話題の中で、「分かり合う」というお題が持ち上がった。

そのことについて少しだけ覚書しておきたいと思う。


俺の基本的考えは「人は分かり合えない」ということだ。

「分かり合う」というカテゴリーにもよるが、普通に考えて、志向、思考、観念、概念は分かり合えないと思う。

なぜなら、決して他人には成りえないからだ。 

自分は自分でしかないく、自分は自分のことしか分からない。

もちろん、共有できるものはあるし、同調することも、同意することもあるのだが、突き詰めていけば、絶対的な分かり合えない部分があるのだ。

でも、「分かり合う」という事柄がそれほど重要ではないような気がする。

むしろ共感、同化感覚、共鳴することが大切。






響感



様々な楽器がある

一つ一つ違う楽器

同じ種類でも一つ一つ違う

違う音色

どんな楽器も同じ楽器にはなれない

代えはない

でも、

響きあう楽器

響きあう音

美しい音楽が

流れ出す


それと同じ






「分かり合う」 ということが理解するということなら

書いて字のごとく理を解するわけだ。

「解」は刀と牛と角とを合わせて、刀で牛の角をさき分ける意、だそうだ。

わける、きりはなす・・・等々の意味

そうなると理解するとは、理をわける、切り離すということになる。 実際は「とく」の意味ではあるのだが、行為としてはやはり分解していく作業だ。

理を分解しては、理はわからなくなっていく。 

理をまるまるそのまま受け入れていかなければ、理自体は会得することは出来ない。

まあ、分離する作業も必要ではあるのだが、分離したあとに、同時並列に進行させるようなことが出来ないと、違うものになってしまう。 

生命とは分離、断絶、分解できないものなのですよ。  

そういうことを分かってないから、今みたいな・・・ね。 


だから、それよりも共鳴、響感ってなわけなんです。


今時な感じで言ったら、バイブスとかグルーヴでしょうか? 

音楽はわかりやすいね。 

あっ、感覚しやすいねってことで(笑)









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プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら



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