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終戦記念日





とくに靖国に行くでもなく、のんびりと山へ向かった。

ちょいとしたお出かけの友は、太平洋戦争(と敢えて言っておくか)の日本軍の「失敗」を分析し、今だその失敗の反省を全く生かしていない現在にも根強く残る日本的組織の欠点みたいなものを書いている本。

終戦記念日からこの本を読み始めているのも、何だかリンクしてきているような気になっておくのは悪くない。
因みに終戦当日も8.15(水曜)、今年と同じみたいな情報を見た。
それが確かなのかは、面倒くさいから調べないけど。

で、読み始またばかりだから、このお出かけのお供の話をするわけではない。

下山している時に、自分の目がおかしくなったのか、みんなそうなるのか分からないけど、アニメのセル画で風景をつくる作業というのはとっても現実的だと感じた。

その下山している風景を見たとき、奥に山、手前に木があったんだけど、宮崎アニメで見たような風景の動き方をしたわけだ。
それがどんな感じか説明しづらいのだけれど、要は別々になった感じ。
具体的に言えば、手前の木は動かないのだけれど、奥の山だけが動いているように見えて、さらに奥まっていく感じに見えたりしたわけだ。
宮崎アニメの何の映画かハッキリしないのだが、多分「もののけ」にそんな見せ方をするシーンがあったような気がする。

と言うことで、あの見せ方はリアリティーありまくりなのだと感じたわけだ。 


そんなことを思いながら、最近うなぎ上りのアーティストの言葉を使わせてもらって、レイヤー(層)ということを考えた。

今回の風景を見るということも幾つものレイヤーが折り重なって、漠と把握している。
それは、ある現象は幾つものレイヤーが折り重なって、成立しているということと同義だ。

レイヤーは、小生思うに、空間として考えると、上下、前後、左右とあるんだろうな〜と思うわけ。
今回の風景に関して言えば、前後のレイヤーの部分が特化して見えてきたわけで、アニメは2次元の世界だから、宮崎アニメの技術は、二次元を3次元化するには、とっても素晴らしい表現技術だと納得したわけだ。

で、山を登りながらも考えていたんだけど、身体も多重で多層なレイヤーをもっていると最近特に感じているわけなんです。 

それでもって、3次元で生きていると一応認識しているから、3次元までしか我々は把握しきれていない人が通常だけど、身体は(と別に身体に特化したことでもないのかもしれないけど)多くのレイヤーが同時進行で動いているから、把握するのが難しいが、それを難しいからといって、特定のレイヤーだけを取り出して、そのレイヤーだけで身体を把握しようとしているのが、現代のあり方なんだと思うわけです。
医療だとわかり易いけどね。

でもですね、存在自体が多くのレイヤーの集合体なワケなんですよ身体というやつは。 身体というより生命と言ったほうが、適切かな。

で、客観的身体ってやつはわかりやすいレイヤーの一つでしかなくて、それ以外にもレイヤーはいっぱいあって、同時進行しているわけですな。 その客観的身体以外のレイヤーを見つけるのが、ある意味小生の仕事でもあるのかな〜と思ってもいる。 で、何となくそれ以外のレイヤーも知っていて、そのレイヤーをなるべく多く知り、ある種意識化してやることを小生は身体への嗜みだと思っている。

今は客観的身体のレイヤーにも幾つかあるから、まずはそこから見直さないとと思ってはいるけど、やっぱり山とか行ってしまうと、客観的レイヤーよりも、感覚的なレイヤーゾーンのほうが活かせる感じがするわけなんですよ。 

でもですね、感覚的なレイヤーにおいても、幾つか把握しておきながら、それを同時に観ていかないと上手く身体と感応しないわけなんですね。 
その同時に観るってのが、難しいし、感覚的レイヤーもそれを感じ、感覚しつづける集注力も必要なわけで、なかなかこいつは訓練が必要ですな。 

とそんなこんなと想いを馳せながら、走り過ぎて足にキテいる終戦記念日。 



と言うことで、私はまた太平洋戦争の日本軍の世界へトリップしていきたいと思っております。
(前半部読むの大変と聞いていたけど、結構イケル口の吾輩)




ん〜、レイヤーのことを俺の言葉で言えば「世界」もしくは「世界観」となるんだけど、「世界観」っていうと硬いから「ワールド」って言ってみようかと思ったけど、「ワールド」だとちょいと違ってくるんだよね〜。 レイヤーだと層だからちょっと違うんだよな〜。 もうちょっと球体みたいなイメージなんだけどね・・・なんかないかな〜。 とどうでもいいことを考つつ、ちなにみコンセプチュアルアートってのはそのレイヤーに特に特化した表現といってもいいかもな、ジャンルだと思うのです。 
簡単に言えば、あるひとつの現象の誰も気付けなかったレイヤーを提示すること。 
要は新しい価値観、見る角度、見え方、捉え方を提示することですね。

それって芸術の大切な役割ですわ。


はい。







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プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら


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