アートって何だ?



新たなプロジェクトに参加することになった。

もちろん私は舞踊家として、身体表現者として関わるのだが、振付のような、アイディア提供のような事が主な仕事ととなる。
あるイベントを形ずるくのだが、その私が方向性を付けていく表現者たちは、ある意味天使達だ。

(この天使という表現が、今後私にとって的を得ている表現となるかは、これからの問題であるのだが、今は単純にそう表現している)

天使達は天真爛漫で、世間、社会から開放された者たちだ。

単純に芸事をやっている者から見ると「自由」ということばがマッチする者たちで、アートという括りの中で、その「自由」さは、アートに携わる者なら、手に入れたいと切望している類のものだ。 
(無論それは、アーティストに関わらず、誰もが望んでいるものでもあるのだが)

まるで子供のような、既成概念から開放された者たち。

そんな彼らが、既成概念から如何に自由であろうとし、多彩で多様であることを要求される近代が生んだ舞台形式の中で、何かを表現してもらおうと企画したイベントであるのだが、様々な疑問が私の中で次々と生まれてきている。

その中でも「アートとは?」という事も浮上してきたわけだ。 

例えば、まだ客観的視点を持たない小さな子供が表現するようなことは、アートと呼べるのだろうか?ということが、私の中で再度浮上してきた。
如何に「自由」であるかが重要な要素ではあると私が思っているアートの世界で、無垢なる者たちの自由度はアートになりうるのか?


これは私が芸事を始めてきてから、いく度となく私に訪れた疑問である。

そして、今回の仕事をキッカケに、また自分の中でわからなくなり始めてきた。

「芸術」は芸と術だ。

だがアートと呼ばれるものは、現代は往々にして、芸も術もないものが蔓延っているように感じる…

子供らの自由な発想、素直な身体に憧れている私…
私が感銘を受けた作品たち…
洗練されたものが好きな私の嗜好…


そんなこんなで思考を巡らせていると、自分が様々な枠に捕われていることに気付いて来る。

自由を求めつつも、本当に何の枠組みもない自由に対して、どこかで恐れを抱いているのだろう。
そして本当に何の枠組みもない自由は存在するのだろうか?
存在するとしても、そうなった時、またはそうである時、私達はそれを認識できるのだろうか?


とにもかくにも、自由にスポットを当て過ぎているのかもしれないが、芸術に勝ち負けがあるとしたら、自由度の差だ。しかしそれはテクニックからの自由さだ。 テクニックが無ければ、自由も計りようがない。

アートという言葉が、観念が定着しつつある中で、その観念が何をもって成り立っているのか? どのような現象をどのように感じたときに、人々はアートと認識するのか? 
これは、芸事、芸術に携わる者に必要な探求なのかもしれない。
 
そうこう考えているうちに、私の中で芸術とは、やはり洗練されたものを芸術として定義していきたいと思う。
そしてその私の定義が、天使達との交流の中で、如何ように変化し、再構築されるのか、楽しみにしていきたいと思っている。






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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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