あれからどれくらいたったのだろうか?



もうその時には、雪が降るような寒さはやってこないと思っていた。

だが、まだ肌寒く、あたたかなコートも必要なころだったと思う。

その時私は何を考え、何を思い、どこへ向かおうとしていたのかは記憶していない。

はっきりしているのは、今私が考えていることは決して考えてはいなかったような気もするが、そうでもないかもしれない。

時のある世界で生きている以上「もしも」はなく、あるとするならば「もしかしたら」だろう。



資本主義や市場経済に対しては、ずいぶん前から批判していた人間だし、行き着く先はいつもそこで、私が芸術活動していること自体が、資本主義、市場経済に対してのアンチテーゼだとも思ってきたし、政治的なことから逃避し続けるあり方が理想的であったりもした。 もちろん、これは大きな矛盾を孕んでいることは承知の上でだ。

しかし今は、そんなあり方が、私にとって出来がたくなってきた。
余りにも酷い政治、社会構造、システム。
けど、それは今に始まったことではなく、私が無知であっただけだ。今でも世界のどこかしこで、新しい問題は生まれ、そしてその殆どが解決されないまま、巨大化しているような気がする。

でも、私はそれを傍目に私一人が自立し私の内なるものの衝動によって生きることが、最善だと思い、関心を向けずにいた。
しかし、今はどうしても目に付くし、なんとかしなければと思う自分が出てくる。

今は加盟するかどうかの瀬戸際のTPPの問題が一番を占めている。
もちろん、原発の問題も東北の復興のことも頭から離れない。
そしてTPPはそれらの問題に深く繋がっている問題だと私は捉えている。

重要な問題であるTPPの国会議論は、意図したかのように、九電玄海4号機再稼働の騒動の中行われてた。
どちらもどうやらあまりマスメディアでは流れてないよう様相だ。

何が本当で何が嘘か・・・私だって分からない。 けど、TPPに関しては私の知る限り、反対派の見解を見ていると、反対派の危惧する内容は推進派からみれば、ありえない、そんなとこまで行かないと言っているが、その危惧される可能性がある限り、私は断固TPP反対であるのだ。 


・・・・


村上春樹氏が昨日のニュースでニューヨーク・タイムズのインタビューに答えた記事が載っていた。
引用させていただく。

「戦後日本の繁栄は終わった。価値観を変えねばならず、お金や効率性では計れない幸せを獲得する方法を考えねばならない」

、「私自身は政治的な人間だが、私の政治的メッセージを(著作で)あらゆる人に言明したいとは思わない。作家として政治的メッセージより優れた物語を書きたい」

、「われわれが(現在の)システムを変えねばならないが、私は、われわれが再び理想主義的にならねばならない時が来たと思う」

(日本の)人々は今後、米国が(理想主義の)手本とは考えないだろう。今のところわれわれは手本を持っておらず、新しい手本を確立せねばならない」


価値観の転換。 

新たなシステムの構築。そのために必要な理想。


もう高度成長期のような国が掲げた目標、理想(=アメリカ)はもうとっくの昔に終わった。
アメリカというか今は世界銀行だろう。

その世界銀行と手を結ばなかったリビアのカダフィはどうなった? 
まるで、悪の権化のような独裁者として、マスメディアでは祭り上げられ、惨たらしい最後の映像はテレビでも流れた。 まるで見せしめのように、生贄のように。絶対服従せよとのメッセージはなかったが、そういう意味だよ。

 

私も実際、新たな手本(理想)を掲げるには、想像力も足らないし覚悟も足らない。

村上氏が言うように、お金ね効率性から抜け出したあらたな価値観とは、やはり先進国のような生活は営めないと思う。

「便利」「軽労働」「効率」にどっぷり浸かってきた生活スタイルからやはり逸脱しないことには、新たな理想に対するモチベーションは生まれてこない・・・。



「何かを得るためには、何かを捨てないといけない」 

「何かにきづけは、何かがいらないと気づく」

これらの言葉は、表現をやっていると身に染みる。 
私たちは長いこと間違ってきたんだと、認めてもいいと思う。 全てではなくある部分においてでもよい。 

「いらないものがおおすぎる いらないものがおおすぎる」 ブルーハーツの歌を思い出した。 

何がいらないのか、個々人が向き合わなくてはならない時はもう来ている。

民主主義ってものの本質が如何なるものか不勉強な私にはわからないが、新たな理想は、私たち国民からつくらなくては行けない。
アメリカから借りてきた民主主義は終わりにして、本来の民主主義が必要なのだ。

もう国はどんな目標も掲げられないし、掲げても嘘まみれなんだから。



そんなこんなことを考えながら、私はまた自分の生き方について向き合う。 

そして村上氏と同じように、政治的なことを表現に載せることよりも、優れたものを表出していくよう努力をしたいと思う。

でも、もしかしたら政治的なものを直接的に表現の中に織り込まざるおえないかもしれない可能性も孕みつつ。





















 

ちょいと考えたけど。


踊りに関しては、(TPOによるけど)やっぱり何からも自由な生命の場としていることが、これからもずっと在りつづけることは確かだわ。

政治にも社会にも依らず、ただの命としてそこにあるものとしての場は創るね。




コメントの投稿

非公開コメント

う~ん、非常に共感します。



ポジティヴな触覚を働かせてみると、新たな理想主義、価値の転換、何かが次のモノがなんとなくはじまって来ているような‥



芸術と政治の問題、悩むところです。ジョン・レノンやマイケルみたいに、正面からいくのもかっこいいとは思います。まぁ、音楽と身体芸術はちと違いますが‥ カラダ=作品 カラダがつくる空間=作品か?‥


新しい時代、精進せねばなりませんね。

貞吉さんコメント有り難う。

俺が、芝居の台本でも書ける頭があれば、思いっきり政治のことを題材に別企画で芝居を打ちたいくらいだ。


プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら



金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード