言葉についての覚書


引用

「言葉は、しばしば、多次元的な体験を直接的な秩序の中に押し込めることによって、次元の切り下げを行う。言葉は多次元的な存在が三次元を通過していった後に残される射影のようなものにすぎない。(略)」


私が「生きていない言葉」または「死んだ言葉」としか表現出来なかったものが、大部分上記の引用によって明文化された気がして、にわかにスッキリしている。

ここで言われていることになぞらえてて「生きてない言葉」を簡単に言うと、形骸化された言葉とも言えるのではないだろうか。

形はあるので、その文字の意味やカテゴリーは機能していると言えるが、生きてはいない。
例えは悪いが、生きていた人の見た目が、死んだ直後と何ら変わらないように見える(劇的な変化が起こっているにもかかわらず)感じに似ているのではないか。


で、「生きていない言葉」があると私が認識しているのには、対する「生きている言葉」があると感じており、ここにおいて「生きている」とは、多次元的な世界のへの扉として機能している状態、または多次元世界のレゾナンス(共振)を有している言葉が「生きている言葉」と言うことになる。



はてさて、文字として表現された言葉の背景にある、多次元的な世界を甦らせるにはどうしたらよいのか?


経験の問題、また受け手の問題・・・とうとう出てくるのだが、今はそれを考えること自体が、既に形骸化されてしまう要因ではないだろうか? と思ってしまった。



文字=「型」  
それを形成するには、「形」と「順序」と「感覚」が必要だと教わった。 

最後の「感覚」。 これがとても重要である。 

言葉の場合、音、リズム、タイミングなども含まれてくる。 

これも「感覚」がものをいう。







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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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