絶妙




9月はこんな話から




ふと、人は何だかんだで、絶妙に生きていたりすると思ったのだが…


そう自分が実感する時は、主に身体を使っている時だ。

特に人間の代替機器を使わずして行動し直接的に行為している時。
または自然の中、野生に生きるものに囲まれている時にはより一層な気がする。


「絶妙」とは、どのような状況かと言えば、時間と空間と感覚がマッチしている時だろう。

そして「絶妙」には快が伴う。(その前に驚きが隠れていると思うが)

その訳はやはり、生命として、「良い」感覚なのだ。
ということは、「良い」感覚の生命活動に従事すれば、常に「絶妙」で在りつづけることが出来るのだ。


我が生の師匠は言う。

溌剌と楽々悠々生きる能力が人間には備わっていると。


話し上では、成立するのだが、習得するには、かなりの鍛練を要することに間違いはない(笑)。


だがしかし、良いの質に固執しなければ、「絶妙」を感じることは言うほど難しくはないと思う。
その人の実力範囲内で、「絶妙」に注意していれば会得する機会も増えるだろうし、そうなれば自ずと質も上がるだろう。

単純に、タイミングでいいかとも思う。
電車、バスにタイミングよく乗るとか、買い物に行って、ちょうど欲しいものがラスイチだとか、これは直感、直観にも繋がるし、または勘と言ってもいい。

そういうものを日常的にも意識し、その動きに乗って行動してみる。

多分、多く間違うことになるかもしれないが、「間違い」とは書いて字の如く、「間」が違ったわけだ。それはタイミングでもあり、直観でもあり、勘でもあるわけだ。

そして、それらは人間の能力であるかと思う。 
そういうものを育むことが肝要であり、これから重要なことになると私は思うのだ。 

そう思う訳は、現代社会の流れがどうしても人間の能力を奪っていく方向性に邁進していると強く感じているからかもしれない。 どんどん人間が弱くなり、人間力が低下していっていると肌身で感じるのだ。 それを私の勘は良くないと言っている。 
だから、時代と逆行するようなことを言っているが、別に逆行しようと言うわけではなく、「不易流行」で生きたいと思っているだけなのだ。 


とぼろぼろ言ってはみたが、それでも何だかんだで人間は今でも尚、「絶妙」に生きていると感じたりする。 

渋谷のスクランブル交差点なんかは絶妙に人々が行きかっているしね(笑)面白いものだ。





















「絶妙」なる人間力が失われていっている大きな理由の一つに、個人主義があると思う。

直感、直観、タイミング、間などは、個人を超えたところからのメッセージと捉えていたりするのだが、それは記憶に繋がるかもしれない。 

ここでいう「記憶」を私なりの言葉で言えば、「身体は全て知っている」ということだ。 

身体は生命が訪れてからの全ての記憶を蓄積しており、それはもしかすると地球も越えた宇宙の誕生からの記憶もあるかもしれない。

それは過去であるかのようで、未来でもあり、未来のようで、過去である。 

時間という世界があるため、未来、過去と認識しているが、もしかするとすべてが今であるのかもしれない。 

そのような「記憶」 

億が記されている。 












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プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら



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