文明と文化




縄文についてあれこれ話していたところから、文明と文化の言葉の違い、カテゴライズの違いとは何なんだろうか?という疑問にぶち当たった。 


世間一般的には、縄文文化とはいっても縄文文明とは言わない。(おっしゃっている学者さんもおりますが) 

逆にメソポタミヤ文明、エジプト文明とはいっても、メソポタミヤ文化、エジプト文化とは聞かない。 


はてさて、所詮しっかりと下調べしていないので、全く私の感覚的な話でしかないのですが、さっきふと思いまして。


とりあえず、私の中で暫定的にカテゴライズしました。 (と言ってもこれは私の感覚的な定義づけ)


文明は自然に対抗するもの

文化は自然と共存するもの


そう浮かびまして、なかなかいいんじゃないかと思っております。


一つ文明に関して言えば、それが発達した一つの大きな要因に「死」があるのではないかと思います。 

死という自然の流れから逸脱しようとする行為が文明の発達のモチベーションだと。

私は読んではいませんが、手塚治虫の「火の鳥」なんかを思い出しました。
あれなんかは、「不老不死」の実現のために王やなんやらが頑張るわけですよね? (説明が酷すぎる気が・・・すいません) 
自然の摂理の流れから、生への執着のために、逸脱しようと必死なわけです。 

だから巨大文明の建造物とかも、あれは王の偉大さ、民衆、他国への自己堅持力の意味合いも大きいかと思いますが、根底には自然への対抗の表れではないかとおもったり、死を回避するためには、安定した食が必要だし、そのためにはインフラが大切なわけで、故に発達したのではないかと。 


で、翻って文化の方はと言えば、例えば死に関して言えば、縄文文化の集落には、集落の中心にお墓があるわけです。 生活の中心に常に死があり、それは死を許容しているというか、一つの自然の流れとして大切にしているようなイメージですが、私にはあるわけです。 

だから死に関して文明と文化の違いを言うと、


文明は死に対抗するもの

文化は死と共存するもの 


そんな風に考えてみました。 








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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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