天給地足



昨日、土取利行さんと、猪風来氏の「縄文・オトとカタチの原風景」という企画を見に行った。

※サマーオープンカレッジ
山のシューレ


色々と印象が残っているその中で土取さんの話の中に「私は自給自足という言葉が嫌いで、いうならば天給地足…だろう」

たしか天給地足だったと思う。ちょいと曖昧なのだが。


自給自足をしたことのない私でもこの言葉が意味することにとても共鳴したわけだ。


人間視点からみれば、自給自足はとても素晴らしいと思う行為だし、私ももれなくそのような印象を持ち、その行為に尊敬の念を抱いている。
しかし、言葉自体の成り立ち、意味とその行為と照らし合わせると、実際の自給自足行為者は天給地足であることを身に沁みて感じていることだろうと思う。 

天の恵みを受け、山、川、海の幸を頂くわけだ。 (幸って素晴らしい表現ですね)

生きているではなく、生かされている命を、誰よりも自給自足者は感じることが出来るのだとおもう。

実際、土取さんは、自らの家の庭で野菜などの食物を育て、完全自給自足と行かないまでも、天と大地の恵みを受けて、自らの生命を育む経験をしているから、そのような言葉が出てきたのだろう。

そんなことを考えていると、自給自足という言葉が、なんと人間の傲慢さの上で成り立っている言葉なのだろうかと思ってしまう。
 
もちろん、自らの力により人間は生きているが、同時に生かされていることを忘れてはならない。 

それは、反対のことではなく、同時なのだ。 同時であり、調和なのだ。


食べると言う行為自体が、エネルギーの奪い合いではなく、調和なのだ。 (この考え自体も人間のエゴに捉えられるかもしれないが…) 

調和を感じることが出来れば、私が思うに「足る」を知ることが出来ると思う。 

友人がこんな話をしていた。「足る」を知らないから、肥満になると。 
必要以上のエネルギーを搾取するから、その余剰エネルギーが脂肪となり蓄積されると。
これはすべての肥満の原因ではないが、とても根源的な原因の一つだ。 

狩猟採集の時代は、「足る」ために必要な獲物を獲得しに行く。
獲得するためのエネルギー、その他の行為をする「足る」ための必要エネルギーを獲得しに行くわけだ。
そして、実質的な安定無き、自然との共存の中で、「足る」ことの出来なかったエネルギーは、知恵を授かり、文化を生み、その文化が「足る」ことを補っていたのではないかと思う。 

今日の芸術は、一般的に安定の余剰にあるとみなされているが、それは安定の土壌の上から出来上がってくるものだからかもしれない。 

だが、本当の芸術、文化の源は「不足」から始まっているとするならば、この現代にどんな不足があり、その不足がなんなのかを根源的に見直した立脚点から、不足を補うことの出来る「足る」へ到るものを生み出していくのが、文化人、芸術家の役目ではないかと思う次第である。






天給地足 



この言葉から、自給自足をしていない私も、現代人も多くのことを考え直させてくれる素晴らしい言葉ではないかと思う。 




天から恵みを頂き、その大地から頂いたもので足るを知る。 


そう定義してみる。









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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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