自立




今日は師匠と様々なことを話しながら、こんな話が出た。 


小難しくいえば、文明の進化と文化の退化だ。


話は単純だ。
師匠の家は木造の40年物だ。 
クーラーはなく、全く風通しが良い造りになっているため、涼しい。 
他にも昔ながらの簾などを使って涼を作り出している。 
また庭は、現在雑草とよばれるようなものを生やしっぱなしにしている。そうすることによって、土に直射日光が当たらず、家の周りの土地が涼しいわけだ。 因みに植物の緑色と言うのも、涼を作る大きな役割を持っている。 
師匠いわく、昔の日本家屋というのは、夏用のつくりをしており、風通しがよい造りになっているとのこと。(現代では防犯上と言う事で、特に都会などでは難しい話かもしれないが、とにかく開閉できる窓が多いのだ)
だから、冬は確かに寒いが、冬は着ればいいし、そのための衣服も開発されていたし、コタツと言うものもある。雨戸も遮風に役に立つだろう。
 
根本的に、人間は発熱体なのだから、冬は着て、コタツに入れば「足る」わけだ。
夏は、肉を脱ぐわけにはいかないから、涼に対する工夫がなされたわけだ。 風鈴もしかりだ。 

こう聞いてみると文化とは自然と共生し、同化していくようなアプローチとも言えるだろう。

それに対して文明と言うやつは、涼の話しで言えばだ、居住空間全てを冷やすというやりかただ。 完全に自然に反し、対立していくやり方だ。 囲われた空間を一歩出れば、暑くて仕方がないし、身体がその温度差に適応出来ず、健康面にしてもよろしくない。しかもエアコンに関していえば、室外機からは熱風が出て、外気を暖めているから、家の周りも暑くなり、さらに室内を冷やさなくてはならない状況になるだろう。

はてさて、無駄が多いように感じるのは私だけだろうか? 

価値判断が損得で成り立っている現代社会の中で、この文化と文明のエネルギーの損得で言えば、私達庶民からしたら、どちらが得だろうか?

夏の場合で言って、自然エネルギーを使って(この場合風)涼をとるのか? 人工的なエネルギーをたくさんつぎ込んで囲われた空間のみを冷やすことか?

どちらが賢く、損得なのだろうか? 






タイトルは自立だ。 

私も自身によく言い聞かせる、「自立」だ。

私もこんなことを言いながら、もっぱら現代っ子だ。 
正直、あまりにも多くに「依存」してしまっており、まだ何に「依存」しているのか気づいていないことも多くあるだろう。
いきなり話は飛んでいるようだが、「自立」をこの話からつなげて欲しい。 


問題は気付けないほどに多くある。 

そしてその解決方法として我ら庶民にはやはりこれしかないのだ。

「自立」するということ。 

ひとりひとりが気付いて、行動していくしかないということ。 

まあ、なんと難しいことだろうと思うけど、ジョンみたいに私は歌えないが、私なりの歌を歌うしかないってことだと思うのです。 







 



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プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら



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