現実は幻だと知る

「今生きている現実が仮の世界だと知ること。
人が求める名誉や功績、財産はもちろん、自分の肉体さえも幻のものだと自覚することだ。
そうすれば、欲に駆られあくせくすることなく、心穏やかに暮らしていける」


確かに、そうですね。

でも、私は思う。

この現実にあくせくすることが試練であり、尚且つ面白いと。

全て幻と言ってしまったら、面白くない。

聖から俗へ、俗から聖へ行き交いながら、しっかりと大地を踏み締めて溌剌と生きることが美しいと思うのです。



「菜根譚」をネタとして、今の考えを述べるシリーズ。 開始!


若輩ものの小生の戯言。

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「明日死ぬとしても林檎の種を植える」

ある時、暇だった僕は動物園の猿山をずっと眺めていた。
そこには全身の毛が抜け落ち、足が全く動かない猿がいた。
猿は止まる事を知らない。活発に動き、跳ね回る群れの中、彼だけは浮いていた。隅の方でポツン…と一人。
心なしか僕にはうつ向いて見える。

昼になり、飼育員が林檎やら人参、蜜柑などの餌を持ってきた。
真っ先に動かない足を引きずりながら、餌に駆け寄る彼。
がっつき、頬張る。
他の猿が彼の近くの餌に手をつけようものなら、歯を剥き出して威嚇する彼。


見ていて痛々しかったが、僕は彼を美しいと思った。
地を這う様に生きているその姿勢に感動した。


「明日死ぬとしても林檎の種を植える」

生きるのは苦しい。
でも、そこから逃げずに戦いぬくのはとても美しい事だ。
だから「この世は幻」というのはどうも信用できない。
猿だって悪戦苦闘と生きてるんだ。
泥にまみれてでも生きてやる。そんな姿勢の方が僕は余程好きである。


「明日死ぬとしても林檎の種を植える」

ちょび髭さん
comment有り難うございます。


全てが幻だということは、全てが現実だということと何ら変わりはないと思いまして。

「この世の中には不思議なことなどないのだよ、関口君」

京極堂の台詞を思い出しました。


幻でも何でもいいから、今ある生を懸命に生きりゃいいんだと、そう思います。


達観も諦観も紙一重。

感受性次第。


プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら



金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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