「ひとり」






「ひとり」という感覚がある。


それは孤独、孤立感とは違う(今話題の無縁とも違う)


言語化するのは難しいのだが、要は他者なき世界といえる。


他者が居ないと言っても他者がいる場合、存在は確認できる。
だが、対他者感、他者という意識が無しといった感じだ。

もっと言うと、世界と馴染んでる感じ。逆に言うと、全くひとり…


まあ、そんな感じだ。


それで、それがどうした?と言うと、「ひとり」状態になると他者と感応しやすくなるということ。


感応とは、何かが伝わっちゃうもの。
何かが響き合ってしまうもの。

(何か、という訳は、それが意識上に昇ってきた時に、個々人によって変化しうるから)


私はそういう人間のもつ能力も探求しているのだが、とてもいいものです。


「ひとり」


この感覚は例えば、かつての利休の四畳半茶室は、この「ひとり」の感覚へ導く装置だったと思われるのです。


とこの話はちと複雑なので省き…


言いたかったことは、他人を理解しようとしたり、何かをしてあげようとしたり、他人から理解されようとしたり、何かをしてもらおうとするよりも、他者に何かを伝えたいのなら「ひとり」の感覚を掴んだ方が、遠回りのようで近道かも…と言うこと。

まあ、近道と言っても本当に遠回りかも知れないけど…(笑)



他者を意識し、関わるのはとても良いことだし、それが人間だし、人間は寂しがりやだし、関わるのは大変だし、修業だし(笑)、面白い。


でも、究極のところ人は「ひとり」、生まれる時も、死ぬ時も「ひとり」。

その「ひとり」になった時に発生する感応が、他者との深い響き合になるのではないか?


よくいう、自分が本当に幸せになれば、周りも幸せになるみたいなやつですわ。


もっと単純にいうと、自分がキラキラ輝いていればいいんだと思う。


溌剌と生きていればいいんだと思う。


それさえ出来れば、良いんじゃないかな?


そうすれば、自ずと周りに「何か」が伝わって行くのではないか?



そう私は思っているのです。









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プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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