携帯が壊れた

携帯バッテリーがダメになりと思いきや、充電器がダメだったというオチなのだか、その間携帯がろくに使えず、俺は随分と苛々した…

頭では、携帯なんぞに苛々させられとるようじゃイカンと思いつつも苛々は治まらなかった…


言い様によっては、俺は随分と携帯に『依存』していると言える。
このご時世携帯を持っていて当たり前と言える時代だか、「酒は飲んでも飲まれるな!」みたいに、「道具は使うもので、使われるな!」の言葉が頭をかすめた。



『便利』


諸刃の剣。

俺らの世代は目まぐるしく通信機器が登場し、その波に乗って来た世代だ。

獲得したもの、失われたものが何となく身体に感じることの出来る世代。
その狭間で俺達は徐々に新たな社会を背負う世代。

これから何を獲得し何を捨てて行くかのリーダーシップを取って行かなきゃならない。

次の世代のために。





人は得ることは得意だが、捨てるのは苦手だ。
そう呟いてみる。



『 私は何を持つことも出来ない

たとえ私が愛していても

樹や雲やひとを



私はただ捨てることが出来るだけだ

あふれる私の心を

それを愛と呼ぶことさえためらいがちに 』



俺の敬愛する詩人の詩のひとフレーズが呼び起こされた。



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確かに

便利になるのは 何かを失う事でもあると 俺も思う。俺の仕事で言うなら 俺が始めた頃は 携帯があるかないかで 現場に入るときは 事前の説明を真剣に聞かないと

現場に入ってから 聞くこともできないし 確認するものもなかった。そこで 今 会社で 俺が取ってきた現場に関しては 従業員に 携帯を持たせずに 現場に行かせる

これを 試験的に やってるけど 今のところ 経過は かなり順調 それをみながら 俺が感じていることは 便利になって考える力が衰えたんじゃないかと 思う。 

これは 現場に関してのことだけかもしれんけど もうちょっというなら 自分でなんとかしないかん事と そうじゃないことの区別が 瞬間的に条件反射のような速度で

できなくなってきとるような ちょっと わからんくなってきたけど 要は 人間が本来持っているものを 使うこと 使い切れなくなっていることが 便利の反対側にある事

かな?と思う。 

便利と不便は紙一重で 要は 自分の目的のための手段に到達するのに 早いか遅いか もしくは 楽か苦しいか など 結局は 自分本位のとらえかたにすぎず

武士のように これもまた 一興 みたいな いま その瞬間を楽しむ そんな 本当の意味での 生き方がかっこいいと思わない というより そんな かっこいい

大人が少なくなったから 自分本位の連続だとおもう。

まあ だから なんだっていうわけじゃないけど 実際 俺とヤスが こんな形で 話すことも 昔なら 否定しただろうけど 今は 便利だし なんかよくわからんよな

でも やっぱり 俺自身は どこまでいっても お金で変えないことや 物などに 価値を置きたいと思う 

それが 俺のかっこよさ 



正直いうと

『便利』はよい言葉のように見せかけた詭弁で、機能としては『人間を家畜化』する罠だと思うなんて考えてみるのもこれ一興ということで、最近田舎暮らしが流行ってたりするけど、手間暇かけることが、豊かさに繋がってるっていうmessageは素敵なことだと思ったりする便利にどっぷり漬かってるシティーガイの戯言でした。



ぼくも「便利」という事に疑問を抱いてます。
便利=手間を省く。時間の短縮。
って事だと思うんですけど…確かにそれが良い事も沢山ある。

けど!

例えば、欲しい本がある。今はネットを使えば一発で手に入る。
僕はそこに寂しさを感じています。
わざわざ本屋に行って欲しい本を探す。すると、本棚を眺めている内に「この本読んでみたいな」というのが他に出てくる。
そして、お目当てだった本とそれを買って帰る。
二冊とも読んでみたら意外と衝動買いしてしまった本の方が面白かったりする。
ネットを使って購入していたら出会わなかった本。
そういうモノが沢山あると思う。便利の陰で消されていってしまう出会い。

寂しいものです…

まあ、これだけ携帯やパソコン、コンビニが普及してる中でそれを使わずに生きるのは難しいですけどね。現に僕も頼りっぱなしだ。
そして「北の国から」みたいなスローライフに憧れはあるけど、そこまでさっぱりできない。

僕は欲まみれだ。都会で「便利」と上手く付き合うにはどうしたらいいのだろう。
「呑んでも呑まれるな」ですね。

No title

ちょび鬚さん コメントありがとうございます。

そうですよね~寂しいですよね。 やっぱり「余裕」が無いんですかね。 

時の流れ方は場によってかわる。

舞台をやる人間として、その時の変化をお客さんにも感じさせられる表現者、芸術家になりたいと思います。


 
プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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