サイクル








自然界の生き物たちは、(我ら人もそうであるはずなのだが…)


誕生⇒摂取⇒育成⇒排出⇒処理⇒誕生⇒…


残念ながら私の国語力ではうまい言葉が見付かりませんが、いわゆる食物連鎖? 循環のサイクルが調和しているわけです。

和ですな。

そんでです。

このサイクルで重要なポイントと思われるのが「育成」。


「育む」と言ってもいい。
だがこの「育む」は、自らの生と言うよりも、例えば花なら、花を咲かしその中の蜜がある虫を生かしたり、木の実も似た様なもの、枯れ葉もある、動物なら(または昆虫も)他の動物に食される。 その連鎖のトップのものは死に、食され、腐敗して、微生物を生かし、大地を肥やす。


ある意味、自然界の生き物たちは、自らの命を他を生かすために育むことを宿命付けている、もしくは選択していると考えてもおかしくはない。



それを「贈与」と呼んでもいいかもしれない。


そしてそれ故に、自然の循環は和することが出来ている。




そこで人間様。

はたして人間様は、自然の循環の中での役割はあるのだろうか?

自然界から、摂取し廃棄物を捨てる。しかも近代においては、自然物から摂取したものを、自然の循環には還元出来ないものを作り出し、廃棄している。または自然の循環を破壊するものさえ、廃棄している有様だ。


その人間様の諸行の中に、自然の循環を生かす、または促すものを人間様は生み出しているのだろうか?

上で言ったところの「育む」または「贈与」はあるのだろうか?

そう思ったわけなんです。

その結果、「何もない」と思った次第なのである。



因みに江戸は世界で最大の人口をもつ大都市で、今で言うところのエコ、循環のサイクルが出来ていた都市だったと聞きます。
ある意味での育み、また自然と寄添う、共存することが出来ていたのでしょうか?


とにかく、近代に於ては、顕著に「育む」ものが何もないわけです。


何故か?


それは自然のサイクルから、人が逸脱して行ったからです。
文明、科学によって。


自然と馴染み、和することをやめ、自然の脅威、恐怖から逃れ、自然をコントロールしようとしての結果だと思われるのです。


その結果が今の現状でしょう。
しかし、その結果が出ているにも関わらず、まだまだ本腰を入れて動こうとしないし、これを機に新たな金儲けを考えていたり、または金儲けの邪魔になるからああだこうだ言って誤魔化して着手しようとはしない。


きっと大きなしっぺ返しが来るまで気付けないような気がする。

残念ながら悲観的ではあるが、この考えの方がリアリティがあると思う。


だからと言って、そこでただ口を開けてボケ~と見ているだけとはいかない。



それが今生で成し遂げられないものだとしても、考え、感じ、何かしら主張していく必要がある。


まずそこから始めなくては…



まず『動くこと』


我が生の師匠は言っている。










随分と前に書いていたネタなのだが、編集していたらまったくオチが変化した。


確か人間の「嗜み」について帰結する予定だったのに(笑)



人は否応なく即興だ!


面白い。




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プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら



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