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芝生






私の敬愛する詩人の有名な詩に「芝生」と言うのがある。









   芝生



 そして私はいつか

 どこかから来て

 不意にこの芝生の上に立っていた 

 なすべきことはすべて

 私の細胞が記憶していた

 だから私は人間の形をし

 幸せについて語りさえしたのだ 

 








               (縦書きにしようと試みたが、どうしても上手くいかず、お許しください。
                    
                 これを読まれる際には、是非首でも左に傾けて、読んで頂けたら幸いす)








立っていたのが「芝生」ということについて…

それは詩人にとって「芝生」でなければならなかった?
芝生であってもなくても良かったのか? (これは考えにくい)

芝生であった詩人の根本的な感受性とはどのようなものなのか?




そして、いつか、どこかから来て不意に立っていた場所は、

街でも、アスファルトの上でも、田んぼでも、海でも、山でも、川でも、森の中でも、岩肌の上でも、オアシスでも、砂漠でも、死海の上でも、または戦場でも、アフガニスタンでも、イラクでも、アウシュビッツでも、霞ヶ関でも、沖縄でも、北方領土でも、尖閣諸島でも、部屋の中でも、最寄り駅でも、恋人の家でも、家族の家でも、どこかの朝でも昼でも夜でも、洞窟の中でも、富士山の上でも、公衆便所の中でも、廃墟の中でも、月の上でも、宇宙でも…


いくらでも「場」はある。



そうして詩人は「芝生」を選んだ。


で、ここで言いたいのは、我が敬愛する詩人の言葉への感覚への感受性への推察、洞察、考察ではなく、これを読んでいる人へ、一つの問掛けをしたいのです。



あなたなら、


「そして、いつか、どこかから来て、不意にどこに立っていますか?」



詩人の「芝生」のみ置き換えて、この詩の後があなたの中で成立するような「場」は何処ですか?



スッと自分の中に落ちてくるような、「場」は何処ですか? 



ちょいと想像してみてください。





別に心理テストでもなんでもないです。 








ただ私ならばどこなんだろうと想像してみたんです。 



私の感受性にぴったり会う場所は、一体どんな言葉が言の葉が落ちてくるのだろうか? と・・・













(これは、我が敬愛する詩人の詩に対する非礼であるような気もするので、ここにお詫び申し上げます)






思い出す。



私がこの詩を暗誦しながら立っていた場所を。 



そこは地下にあり、じめっとしていて、夏になると虫が沸いて、下は冷たいリノリュームで、カビの匂いのする場所だった。 


なんだかとっても不浄な場のようであるが、私にとってはそこはとても大切な場所だった。 


そこで、私は俳優として立つことを学び、動くことを学び、生きた言葉を探り、俳優として生きることを、役として生きることを学び、表現とは、表現者とはなにかを、日々模索し、経験していった場である。



そして私はいつか

どこかから来て

不意にこの地下の稽古場の上に立っていた・・・




その時は、そんなこと考えずに、芝生を空想しいていた。



そして今は、この「 」は違う場になっている。 




 




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どこだろうか……

僕は廃墟に似た場所。くたびれた町の無人駅。ゴールドラッシュ後のゴーストタウンの酒場。ともかく、ひと気は無い。寂しい場所。

でも、なんでこんな場所が浮かぶのか自分でも全く解らないや。

comment有り難うございます。


回答有り難うございます。

かなり寂しい感じの「場」ですね。

僕の中の選択肢にはなかったものです。


皆さん違うんでしょうね。

そして、時が経てばまた変わるかもしれませんね。


全く興味深いです。

ご協力有り難うございました。





No title

わたくしは山の上です!
見渡す限り自分しかいなくて、登ってくるのも大変だったけれど(いや、不意にだから登ってきた過程はカットしなきゃいけないのか。。)下るのもそれはそれで気が遠くなる感じ。森林限界を越えた、ごつごつした岩場の上とも言えます。
で、空が高いんだけれども、天が近い、みたいな感じです。
前にアンデス山脈に行った時に(中腹までですが)実際、がつんと若干その感覚に近いものに襲われたので、体験に引きずられてます。

「霞ヶ関」は最高ですね!
不意に霞ヶ関に立っていた、でかえ歌をするとすさまじいですね!
そういう日本人がひとりでもいたら、日本の政治がよくなりそう(笑)。

遅ればせながら RAさんcomment有り難うございます。


山の頂上…


良いですね。


僕には空想するしかないのですが、良い感じがします。

RAさんは、その頂から更に空を仰ぐのでしょうか?
それとも界下を眺めるのでしょうか?

そこからは何が見えるのでしょうか?


そんな空想をしてみました。


僕もせめて3千メートル級の山の頂に近々立ってみたいと思います。



そうそう、霞ヶ関。

今の政治家は何処に立っているんでしょうね?


赤坂の料亭にでも立っているんですかね。
しかも個室に。




プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら


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