問い




朝の環七を走るバスの中で

偉大な詩人の血肉をむさぼる目を飛び越えて耳に飛び込んできたのは叫びに似た問いだった。





死ねないなら触れられない…



…ダン ルーヴィットン
」 





彼は他に幾つかの叫び、言葉、声、音を残してバスを足早に降りていった。 


そして私が確かに聞き取れたのは、この二つの文脈だった。 



この命題は頭の中で駆け巡り、様々な解釈をもよおさせた。 


無論 正解は無い。  

安直な仮囲いの答えに収めない限りは
問われ続ける問いとなりうるだろう















死ねないなら…


死と生が裏腹で、生の中に死を孕み、死の中に生を植えるなら「生きれないなら」とも変換できる。 


死ねないなら…


死にきることが出来ないなら…生ききることが出来ないなら…触れられない… 

この世に未練を残すことなく、生き抜くことを覚悟していないなら…何にも触れられない。  

本当に触れるとは? 

触れることが刺激と反射の世界でないとしたら? 

僕らは今まで一体何に触れてきたのだろうか? 


死ねないなら… 触れられない…


ダン ルーヴィットン




コメントの投稿

非公開コメント

死を認識する重要性

人それぞれ“死”に対する認識はあるのだろうが、その想像力は自らの“生”と向き合う事に等しい。

昨今 沖縄米軍基地を巡っての議論や世論、基地を認めない沖縄への誹謗中傷もあるけど、きっと国民それぞれが“死”を認識し始めてるのかも
ただ まだ“生”と向き合えてないようにも思える。

沖縄では幼いころから戦争の話しの中に身内が出てきたりする。

琉球処分や かつての大戦にしても、聞かされてきたのは
“命どぅ宝(命こそ宝)”や
“生ちゃりばチョーデー(生きてれば兄弟)”と言った言葉を聞かされて育った。

道徳教育の中には明らかに反日もあるけど、こんなにも“死”を認識させる教育をしてる県はないかもしれない。
広島長崎にはあるかもね。
東京はどうか分からないけど、どんな理由や情勢であれ重要な事だと思う。
大陸文化は常にそんな歴史があるけど、日本はあまりない。
戦国時代にしても英雄武勇伝みたいになってるし、この時代が死者の上に成り立ってるなんて どれだけの国民が認識してるのかな?

まぁ 自分の存在にしたって先祖が生き抜いてくれたからの存在。


せめてそれ位は自覚しないとね~(笑)

ショーゲンさん コメント有り難うございます。 




> 人それぞれ“死”に対する認識はあるのだろうが、その想像力は自らの“生”と向き合う事に等しい。


その通りですね。 


沖縄の方々は、本土の人よりも死に対する意識が明らかに強いと思う。 故に生への意識も。


> “命どぅ宝(命こそ宝)”や
> “生ちゃりばチョーデー(生きてれば兄弟)”


素晴らしい言葉たちですね。

その部分は、今の若い沖縄の方々にも受け継がれていって欲しいと思います。



> まぁ 自分の存在にしたって先祖が生き抜いてくれたからの存在。

それと、今生きている環境、今存在し立っているこの大地、自分の良心に生かしてもらっていることに感謝して生きて生きたいと思いますわ。



プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード