明後日本番




10日(火)本番。



あと二日…。




着々と準備は進み、柴田氏の作品も一つの山の頂点を迎えようとしている。
(基本的に生ものにはゴールはない)



この度のダンスフェス?イベント?「ダンスがみたい!12」には「何故、私は踊るのか?」というテーマが掲げてある。


そして柴田氏の作品のパンフレットに、「何故踊るのか?」ということに対して、commentを書いて欲しいとの要望があって、私は考えた。


と言っても、この問いはいつも私に付き纏い、気付かずに服にこぼした染みの様に忌々しさを感じる時もあれば、予感を孕みつつ、突然の様に攣るふくらはぎの如く、痛烈に生き様を問われる時もある。


そんな中今回の問掛けは、足下からじわじわと吸い上げられて来た液体のようにしっとりと私の下体から全身を濡らし、押せば滲み出るその液体を言語化するような作業となった。



始めに出て来たのは
「理由なんてない…」と言うこと。

生きていることの理由が「生きているから」と思う私の考えと同じ様に踊ること事態は自然であり、理由ない時の踊りがむしろ面白いと思う私がいるから、ふとそう思ったのだろう。



基本的に私は踊ると言うよりも、「動く」「いごく」ことを重要にし、むしろ安易にダンスしないようにしている。


今日も子供が動いているのを、親がダンスと表現している光景をみた。 


そんな光景を見ていると、やはり人の中にはダンス、踊りと表現されるような動きが自然発生するものなのだと私には思われた。


無論、その動きが生まれる要因はある。 しかしそれは理由なのだろうか? 


理由というのは、往々にして結果的後付のもののような気がする。 


ある自分の枠組みの中で、納得させるようなもの… 



だから私はより理由のない動きを追求しているのだろう。



勿論この「何故、私は踊るのか?」の答えをそれなりに用意することは出来るが、どれも結果論的な感じがして、しっくりしないような気がする。 


踊っている、動いているその時、その真っ只中に動機はあっても、理由は無い… 


そんな動きをしていき、私はもう一度踊りを問い、本質的な踊り、舞と出会って、新たな(に見えるかもしれない)舞踊と我が身が一体になる時を感じたいという欲望がある。 


あっ、これが理由か? (笑) 



な~んて色々と理由っぽいことは出てくるのだが、単純に思うことは…



なんだか知らないけど、流れに乗っていたら、命が踊のような表現手段に運ばれたって感じである。



それを今は精一杯にやっている。 それが生きているって感じがするだけ。 



もっと簡単に言えば、やりたいからやってるだけ。 



答えはいつもシンプルなものだ。 


そしてそれが新たな問いになっていく。 






その作業の繰り返し。






 





コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード