観劇


一本芝居を観ました。

内容は暗い話です。 

人間の内部にあるドロドロし偏った黒い部分、精神が鬱屈したもの病んだものがちょっとしたきっかけで露呈してしまった感じの人々の物語。 


そのあつかおうとした内容は別によいのですが…


なんでしょうか? ふ~んという感想でした。 


その理由の一つは、演出の要望がどうだったかは分かりませんが、俳優達の演技が、その事象を自分の中でだけ成立させて、(もしくは成立してないのかも?)やっている感じがしたからだと思います。 

設定が、リアリズムではなかったので、俳優陣も苦労したかと思いますが、単純に観客がついて行けないような話しの転換になっておりました。 


随分と重い?話をしているのですが、ふ~んそうなんだって感じにしか思えなかった私。


それを俳優の、演出の原因だと思いもしたのですが…

もしかしたら、今時のそういう重い精神、病んだ精神を持っている人っていうのは、どうもリアル感がなく、自分から離れた感覚で、自分を眺め、悶々としているのかもしれないとも思いました。 

なんというか、肉体と精神が一昔前はがっぷり四つに組んで、人間が存在していたように感じるのですが、今は肉体と精神の分離感が支流で、それがより精神を病ませている原因なのかな~と思いました。 

そう考えると、下手な豊かさというものの弊害だろうと… 

そういう人たちが、食べるのも苦労する環境に置かれたら、精神なんて病んでる暇ないと思うのですが、どうでしょう? 


今様の病み方… 


先日も一本の映画を観たのですが、それもそんな感じを受けました。 

ガス・バン・サントの「エレファント」 

扱っているテーマはアメリカで起きた高校での銃乱射事件


とても淡々と描かれており、銃を乱射するのはその高校の生徒なんです。 

で、印象に残っているのが、彼らが無差別殺人計画を実行しに行く前の台詞で、車に乗り込みながら、「とにかく楽しもう」って台詞。 

それから、彼らが学校の生徒、先生を次々と殺していくのですが、人が死んでいく、殺していくのにまったく葛藤がなかった。 
まあそういう演出なんだと思いますが、それが私にとってはリアルに感じたりもしたのが、とても怖かった。

実際にあった事件の事実は無論のこと、分かりませんが、もしあの映画のように人を殺していっていたとするなら、本当に世も末だなと感じざる負えなかった。 


本当にゲームのように、人をリアルに殺していく。 


で、途中でバラバラに行動して乱射している二人が会って、報告をするのですが、それもゲームの得点何点いった? みたいな会話なのです。 




もしも本当にそういう人種が世の中に出てきているのなら、私には彼らのことが理解できない。 


そして、今日観た芝居も、同じような感覚で登場人物達が設定されていて、俳優が忠実にそれを再現できているのなら…

「どうしょもねえな!」って感じです。 




ちなみにその帰り、最寄の駅についたら、歳は十代か二十代前半の女の子が一人で、神や、その神の愛、死後の世界を街頭演説していて、少しだけ耳を傾けてみたのですが、某有名新興宗教団体の子だと分かりました。 



ん~「どうしょもねえな」「残念」って感じの時間帯でした。 



まあ、これもいい勉強ですわ。










 



あ~やっぱり、俺の表現媒体は、踊りだわって感じでした。 


芝居をやりたい感じも高まっているので、いずれ動き出しますけどね。 


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田舎者

病んでる暇なんてない。

という言葉に感銘を受けました。


田舎の人は、不満もクソもあったもんじゃなくて、

もう明日食う為に畑に出ないといかんのです。

働かないといけんのです。

だって休んだら死んじゃうんですよ。

流産して、ぐねったりするんですが、

やっぱり働かないと死んじゃうんで、

気を取り直して働きます。

そういう母を持ちますと、

嗚呼、甘いな俺ってつくづく思いますね。


結婚もそう。

一人だと死んじゃうんですよ。

子供も作らないと、

歳とって生活出来ないんですよ。


実に合理的です。

結婚しないの?意味分からない。

って事ですよ。


生活と人生と生き様と、当たり前のように一緒なんですよね。


生きていかなければ。

マコトさん、コメント有難うございます。



「 病んでる暇なんてない。」


そうなんですよ。 必死で生きている人は、病まないんですよ。  

その「必死」の質もありますけどね。



マコトさんのお母さんは凄いですな~。 こうべが垂れる稲穂かな…



「結婚」


ちょっと今の俺には難しい話ですが、そのお母さんの感覚もなんとなく分かります。 

わしら芸事稼業は世間様の当り前のことが、なかなか難しかったりするわけです。 

結婚はそれの一つかと思いますが、その当り前がなかなか難しいからこそ、その重要性を気付けるのかもしれません。 

まあしかし結婚はしてみないことには分かりませんが。 


是非マコトさんしてみてくだされ(笑) お先にどうぞ!




プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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