子育て





(無論子供のいない私が書くような内容ではないのですが、偶然の一致があったため、失礼かもしれませんが、一応報告というか、参考になればよいかと思ってのことですので、ご了承いただければと思います。)



私の生の師匠がこんな様なことを言っていた。

「子供を自分の感情を満たすため、便宜のため、役立つため、飾りのため等々で育ててはならないことは言うまでもない。
しかし知らず知らずのうちに、また親切心、愛情のつもりで、いつの間にかそういう傾向に陥っている人も少なくない。
子供の幸せのために育てるのは無論だが、幸福にしているつもりで、庇いすぎて、弱い子供にしてしまったり、子供の世界に大人を持ち込まぬつもりで、つい褒めたり、認めたりして、子供の楽しさを奪ってしまったりしている。

それは、親が子供を自分の延長のつもりで見ているから。 独立した生き物として見ていない為である。」

(私なりに少し編集しました。)



そして最近はまっている凄い男が言っていた。


親の説教は「教育」ではなく「要求」になっていると。

「こうすると、ああなる」は教えになるが、「そうしたければ、こうしなさい」というのは要求になると。


素直な子とはどういう子でしょうか? 良い子とはどういう子でしょうか?

親の言うことを聞く子。というイメージかと思います。


凄い男は言いました。 「親に魂を売るな」

親の言いなりになってしまう子が決して良い子ではないと。

それは社会に出てから、他人のいいなりになるような人間になってしまう。

欲求不満が募って、いつか爆発してしまう。


そうならないためにも、自分自身の心と体すべてで感じて、あるがままのものを見通す能力、見極める力を養う必要があると。

そのためのキーワードが「疑う」こと。 猜疑心ではなく疑うこと。 自分で感じて試して見定めて行動し経験していくこと。


だから、親の言うことは半分も聞ければいいということ。


後は子供に感じさせ選択させて好きなようにさせる。 それをしっかり見守っていればいいんだという事だと思いました。


それから、子供には十分に甘えさせてあげると。 

人間の子供は野生の動物の子供と違って、大人になるまで時間がかかる。 それには多くの意味があるかと思うんですが、凄い男は、小学生までは十分に甘えさせて、中学生になったら徐々にけじめ、上下の差を教え、二十歳になったら対等に接するといっていました。

成長に時間がかかる分、親に子供は依存する。それは自然なことですので、それを十分に満たしてあげれば、欲求不満になることもなく、時期がくれば、簡単に甘えから、依存から、自らを解放させ、自立していくと。

でも甘えさせるといっても、計算的な子供のテクニックに対してではなく、自然な甘えの欲求を満たしてあげること。
そこが難しいかも知れないのですが、ちゃんと観察してあげていれば出来るそ思うのです。

観察してあげるというのは、要は、子供に集中力を注ぐこと。 それが愛情になる。 そして子供はそれを求めている。 

親が嫌がるよな悪戯をするのも、叱られる方が、親の集中力は子供に向くからなんです。 感情の問題ではなく、集中力を、自分を見てくれているという自然の欲求が子供にはある。  そんな欲求に飢えている大人も多いですが・・・きっと子供の頃の依存心が満たされなかった人たちだと思います。


まだまだ書ききれないことがありますが、最後に


凄い男がいいました。

「・・・私は親であることに自身がないからなのです。親として教育していく十分な自信がない。だから、私などよりもはるかに偉大な自然という教師にまかせたらいいのではないか、と考えた」 






他にも多くのすばらしい価値観があるのですが、また機会があれば、まだまだ未熟者の小生のブログに掲載できるような内容ではなく、机上の私の言葉で変換されたものに成ってしまいますが、紹介できれば良いかと思っております。














まったく経験のない私があれやこれやと言って、不愉快に感じる方もいるかも知れませんが、もし何かのきっかけになればと思ってのことですので、お許しください。





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子供の成長に関わることにまで目を向けて、ブログで発言する若いアーティストは、今この時代にそうはいないのでは?金野さん、素晴らしい。



私の知っているある哲学者・教育家は、子供に対する親の態度は、流れている河の前に立って、ありのままに、滞りなく、その河の流れを全うするよう思うことだ、と言っています。曲がりくねっても、急流でも、澱みなく流れるように、と。


また、その人の言によると、基本的に教育とは、つまるところ『自己教育』なのだそうです。親であっても教師であっても、その現場で教育されるのは結局自分だ、ということでしょうか。

また、そういう態度で生きることを『教育芸術』とも言っています。


私もまだまだ不勉強なので、そういったことを身体で理解しているわけではありませんが、金野さんの発言に影響されて、一筆とった次第です。


師匠の言葉も、素晴らしい。そういう方はきっと、教育を含め全て『芸術』なのでしょうね。





貞吉さんコメントありがとうございます。

素敵なご意見ありがとうございます。


> 子供の成長に関わることにまで目を向けて、ブログで発言する若いアーティストは、今この時代にそうはいないのでは?>

私は小学生になる子供がいてもおかしくない年頃ですが(笑) 今のこの時代に、教育についても考える若いアーティストが少ないというのは悲しいものですが、もしかしたら結構いるかもと期待したりもしています。


> 私の知っているある哲学者・教育家は、子供に対する親の態度は、流れている河の前に立って、ありのままに、滞りなく、その河の流れを全うするよう思うことだ、と言っています。曲がりくねっても、急流でも、澱みなく流れるように、と。

素晴らしい考え方の哲学者、教育家ですね。

そして、私なりの解釈+やり方なら、私も河の中へ子供と共におり、少し先に行きつつ、その背中で流れ方、泳ぎ方を示し、そして見守る。 手は貸しません。

それが出来るには、親である者が、河の中でどれだけ泳いできたかが重要だと思うのです。
それも滞りなく、ありのままに、当たることなく・・・

そんな経験豊かな大人がとても少なくなってきているように思うのです。 

楽に河を渡る方法、ボートや橋を作ってしまうような方法論、HOW TOでもなく、無論与えるわけでもなく、その河を泳いでいく感覚を伝えられる・・・そういう大人。

そういう大人が増えていくことに、少しでも加担できるような、表現というキッカケを与えられるようなものをやりたいと思っております。


これからも、貞吉さんの素敵なコメントで勉強させてもらえればと思っております。

ではでは

貞吉さん!



シュタイナーね。 

さすが、オイリュトミスト! 


凄い男がこの子育ての話の中にもシュタイナーでてきたわ。


俺もまだまだ勉強不足ね。


プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


公式サイトはこちら



金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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