舞踊家・俳優という肩書きを傍らに置いといて、生躰研究家としてのプレゼンをさせて頂きます!

ということで、イベント告知。 本日です!
(予定では昨日この記事を書き上げるはずだったのですがwww)

DEVIATE.COの主催する

異業種交流会 円環 vol.8 に出ます。

詳細
6/22(日)スピーカーでのプレゼンテーションと交流会
開場13時 スタート13時半  17時まで
参加費:¥2500/1D  通し券:¥4000/2D(事前予約のみ)
@四谷三丁目 喫茶茶会記
(〒160-0015 新宿区大京町2-4 1F お電話 03-3351-7904)

円環FacebookEventPage

ということで、もし私の生態研究家って何?ということが聞きたい方がおりましたら、私めまで、連絡いただければ、幸いです。




ということで、改めて「生態研究家」について考えておる次第であります。

最近は、初めての方を対象にWSをやらせていただく機会もありまして、あらかた概要はさくっと説明させていただいたりしておるのですが、ちょいとそのあたりをもう一度客観的なところで捉えて、アウトプット出来るようにしていく努力も必要なんだろうな~と考えております。

最近も内内に「ちょいと生態研究家について喋ってみてよ」なんて振りがありましてね。
その際、なかなか突っ込みどころが満載だったりすることに気付かされまして、ちょいと考えてみっかって思ったわけなんです。

と言いながら、朝がやってきたようですwww 一度あの世へ行っていたようでwww

はい!イベント当日です。本日は雨!


ということで、何につけても生躰研究家は一番の重要度を「生きているということ」「生」「生命」においているわけで、「『生』に立脚して世界と関わる」みたいな言い方も出来るのですが、そうなると自ずと「死」というものの重要度も同様になるわけなんです。 

ここで、「何で?」っていうことを説明するのがどうやら重要らしいです。 
単純に、「生と死は表裏一体だから」と言って、私の思うところとを理解してもらえればいいとは思うのですが、そうはいかない。
そう書いていて、私自身もそう思う。 そんな都合のいい話があるわけないしwww
 
例えば「生と死が表裏一体」ならば、「『死』に立脚して世界と関わる」という言い方も出来るのですが、それは構造的に成立しているのですが、イメージや気分や感覚的には具合がよくない・・・

そう、感覚的にそれは具合がよくない。

なぜかって言えば、その「死」というものへの人間が持つイメージ、印象、マインド、観念等々が問題でして、それらが身体に影響を与えるわけなんですね。
その既成概念が無くなれば、「生」も「死」もフラットに捉えられ、問題なくなるのですが、それはまた、単純にプラスイメージかマイナスイメージかってことが消滅すれば問題ないってことなんですが・・・
と、またプラスとマイナスっていう観念が出てきましたが、これも生と死と似たような構造の二元論的なものへ繋がっていく。
で、二元論を出してしまうと、これまたややこしいくは無いのですが、ややこしいイメージがついてくるので、今は取り扱わないです。

で、ここで再三だした言葉として、イメージがあるんですが、このイメージっていうのが、実はとても人間を人間らしくしている重要なファクターだと今改めて書きながら気付きました。 
まあ、似たようなことはこのブログでも書いているのですが・・・・そうなるとイメージって何?ってことになってくるのですが・・・それも置いておきましょうwww

ということで、とりあえず「既成概念が無くなれば、「生」も「死」もフラットに捉えられ、問題なくなる」ということが、実際には「生」と「死」においては成立しないってことを言いたかったのが、違うほうへ行ってしまったので、戻ります。

既成概念が無くなれば、イメージ的に「生」も「死」も言葉の彩としてあるだけで、人間が在る状態になんら影響を与えないわけなんですが、はてさてそれもどうなのかな~?っていう言葉のチカラ(言霊)の問題も出てくるのですが、そいつは置いておいて、影響が無いとします。 
しかしながら、生物の世界として、これは絶対的事実だと私は定義しているのですが、
「生きとし生けるものすべては死ぬ」わけなんです。 (事実って何ぞや?って話にもなりますがwww)
人間さんに限ってとりあえず言えば、今まで死んでない人はおらんわけですね。
それはどんな宗教においてもそうですよね? 
キリストさんもブッタさんもしっかりと死んでおられます。 
その絶対的な死という状態っていうライン引きも人それぞれあるわけなんですが、ここでは単純に人が生きてる、死んだっていう子供のころから遊びの中でも取り入れられてきた感じの、動いていたものが動かなくなるっていう状態を死としましょう。
生態研究家としては、「『生』とは動いているもの」と定義するわけんですが、実際これを今ここで持ち出すと、またまた訳分からなくなるので、スルーします!www

その動かなくなった状態。 単純に死後硬直なんていうのは、みなさんもテレビで知っているでしょうし、映像とかでも見たことあるだろうし、実際にそのような現場に居合わせた人もいるでしょうから分かると思うんですけど、(それもぶっ飛んで、分からないっていう状態になっている死を受け入れられない人や動物もおりますが・・・)

で、長々と書いてきましたが、そのような動かなくなった状態の「死」というものは、「悲しい」ってことを言いたかったんです。
その「悲しみ」は、「既成概念が無くなれば、イメージ的に「生」も「死」も言葉の彩としてあるだけで、人間が在る状態になんら影響を与えない」ってことを、簡単にひっくり返す。

おいおいここまで書いてきて、感情論?って思われるかも知れませんが、生躰研究家として感情っていうものは、その感情が起こる素があるわけでして、その素が感覚なんです。
その感覚が、表面化する現象として感情というものを捉えているのですが、故にここで今あげた感情論というのは、生態研究家としては感覚による客観的現象という感覚論になってきて、その感覚が「生」を紐解くためのもっとも重要な軸であって、私がよく言う「シンタイ」、「カラダ」というのは、客観的な物体としてのフィジカルな身体ではなく、感覚的な身体でして、それを感覚体と呼んでいるのですが、その感覚体の動き次第で、感情というものが表面化するというわけです。 

そして、感覚体は常に動いている。 どれだけフィジカルな身体が静止してようとも、常に動いているのが感覚体。 
(まあ、一般的に生きている状態の人間は、心臓とか不随筋系とか神経系とか細胞とか細菌とかなんやらかんやらは常に動いているから、止まれないんですけどね~)

で、ここで一つ「生きている」という状態っていうのは、生躰研究家としてはどういうことかって言うと、
客観的事象の体と感覚的身体(感覚体)がみまごうことなく一体、一如な状態ということなんです。
(「みなごう」ー「みまかる」-身罷る・・・からだがあの世にまかり去る=死)

「死んだら消える身体」という表現を感覚体に対してするのですが、この上記の定義でこの「死んだら消える身体」=「感覚体」の意味が分かってくるかと思うのですが、要は客観的事象の体というのは、単純に生きていた状態と死んだ直後の状態とで、何ら変化は見受けられないわけです。 そりゃあもちろん心臓は止まりますがね。 
でも、何かが去ってしまっている。 それはとても感覚的なものであるのですが、明らかであり、その明らかさを受け入れるか入れないかは、感受性次第であり、またその人のイメージの世界の話であるのですが・・・


といった感じで、「生と死が表裏一体?」ってどういうこと? ってことだけでも説明し始めると大変なわけでして、文字に起こすとこれまた大変な作業なわけで、それをまとめて簡潔に言うとなると、かなり洗練させていかないといかんな~と思うわけなんですが、一番最初の話に戻りまして、

「『何で?』っていうことを説明するのがどうやら重要らしいです。」
ということを私は怠っていたと感じさせられる次第なんですね。 
仲間内では、共通言語がバンバン成立していて、このような話をするにも、ある一言が、例えば上記のような情報量を既にもっており、それを使ってさらに次の話へ展開していくのですが、その共通言語を持たない人たちとコミットしていく時に、その共通言語を再度分析して説明していかなくてはならないわけで、その作業をするためにもブログを書いているっていうこともあるんですけど、そう思っている私でも、特に生躰研究家の立場ではない時には特に共通言語のオンパレードを、意識出来ていないくらい、使っているようです。 

いやはや、まいりましたねwww
私の言う身体と、世間の体との違いはもちろん認識しておりますが、そこが焦点ではない話の場合は、大変でありますwww

しかし、その作業がとても自分がよりよく、自分の言っていることを理解できる作業になっていると思います。
これから、全国つつうらうら講演会をやっていかなくてはならないので(笑、お呼ばれしてます、時代にwww)、どんどん鍛えていかないといかんな~とおもいつつ、今日のプレゼンもその訓練として、張り切ってまいりましょう!


って、もうあと幾ばくも時間がない(笑)









プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
2009年パフォーマンスグループKIUNJI(キウンジ)を立ち上げる。(2014 年より芸術企画として活動)
また2013 年より生躰研究家として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会を行っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬をソロ公演で行い、YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。
また生躰研究家 金野泰史として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


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