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集注力



集注力とは、静止しているものに意識を照射し続けることではなく、動いているものを飽きることなく見続ける力のことを言う。

(私の独断と偏見により、「集中」のことを静止物を見つめる行為として区別する)


では、動き続けているものとは?  それは「生きもの」のことをさす。


そして自然界のものはすべて生きている。 



また、集注力とは体力と同義といってもおかしくない。 


ここでいう体力とは、動いている広さ?である。 量とも速度とも力率とも言えない、かといって広さと言っても空間的面積の話ではない、世界の多重性多層性とでも言えばいいのか?ん~なんとも申し上げにくいのだが。 

で、同義という訳は、集注力があるということは、動きを見続けられる力であるから、見続けられれば、世界が多重で多層であることが分かってくる。 


で、これは何の職業でも同じかもしれないが、集注力がものをいうと思う。 


自分がそうであるからかもしれないし、偏見かもしれないが、特に芸術家には必要だし、鍛える必要がある。


そして踊りなどは端的に動きが具体的になるため、特に必要だ。 



例えば子供の動きが面白いのは、集注力があるからだ。 まったく持ってかれる。 しかも集注の対象がころころ変わったりするにも関わらず、集注の深度が深い。 


そんなことを考えていたら、大人と子供の違いに気付く。 集注力の差だ。 度合いが違う。


しかし、子供はその集注の対象が自分の意思がはっきりしておらず、純粋に生命のみ向けられているので、あっちこっちへと行く。 

そこで、大人は意思により、集注の対象を持続できることだろう。 そして鍛えることも出来るので、子供の集注力を凌ぐことも出来るかもしれない。 


だから、人は大人になる必要がある。と、そう思った。 


どうしようもない大人の人間の救いはそこだけにあるような気がしてくる。 


でも、大人になることで確実に集注力は落ちる。 それは客観的事物に晒される時間を多く持つからではないか? 

今日もふとテレビを見ていたのだが、テレビというやつは何気に映像の中でひっきりなしに動き続けているが、あれは静止物と同じだな~と思った。 

それから、どの業種も今やそうだと思うが、パソコンと向き合っている時間が多いと思うが、パソコンも静止物だ。 


静止物が変化をもつことが出来るアプローチは刺激と反応の世界だ。 それはそれで良いのだが、それが全てだと感じはじめると、残念なことになる。 

刺激と反応の世界はエスカレートしていききりがない。 でそういう世界に晒されていると、好奇心が失われていくことになる。 

営業の人は、人と触れ合うからいいが、大人達の中には、止まってしまっている人が多いから、生きものと触れ合っていると言う感覚は、やりようによってはなくなっていくだろう。 


現代日本の中で、人間以外の生きものと触れ合う仕事をしている人がどれだけいるだろうか? 




集注力。 これはとても大切な要素になっていくと思う。 











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プロフィール

Yasuchika Konno

Author:Yasuchika Konno
金野泰史
舞踊家/俳優/生躰研究家


1999年俳優を始め、2003年から舞踊(舞踏)・俳優・パフォーマンスアーティストとして活動を開始。音楽家、美術家、写真家など他ジャンルのアーティストとのコレボレーションも多々行う。
底辺から頂点に自身が日々稽古して探求する中で捉えた身体観、身体感覚を通しての表現を追求している。
2009年パフォーマンスグループ【KIUNJI】(キウンジ)を立ち上げる。現在は芸術企画【KIUNJI】としている。
また生躰研究家として「身体との付き合い方WS」も定期的に開催している。

このサイトでは、金野泰史、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


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