貢献



ふと、思ったのでここに記しておく。




藝術に貢献したいと思った。

藝術に対して恩返し、または恩送りとかを思ったのだが、単純に貢献したいという言葉で表わしてもいいと感じた。

私が藝術と規定するもの(舞台、映画、小説、音楽などなど)から、私は多くの経験と豊かさをもらった。
それを、自身の表現で、恩返ししたいし、立ち会ってもらった人々に恩送りしたい。
藝術というものが、とかく抽象的で、多様性に溢れているので、
これといって規定できるものではないにしても、
私がただただ影響を受け、私の生命力を活発にしてくれた藝術へ、恩返しし、
貢献したい。
受け継ぎ、継承していきたい。
そう思っているのだと、
改めて思い至ったのである。

その態度、姿勢の行動として、私は人前で舞台に立つことをするのだし、その必要が生じるということ。

とてもシンプルだった。

藝術を通して、誰かに貢献する。
その想いも無論あるのだが、
そこは少し息苦しかったし、どこかの誰かに聞いて、そうあるべきものだ、そうでないと価値がないものだと自分で自分に言い聞かせていたのだと思う。

そうじゃなくて、藝術そのものに貢献するということ。

じゃあ、藝術ってなに?ってことなんだけど、

それはまた大きなテーマになってくるので、
少しだけ、

「経験」

非日常の「経験」
非日常をつけなくてもいいかもしれないし、
日常で経験しているかもしれないが、

見過ごされているもの、氣付かないもの、また未知なもの・・・

そう言い表してもいいと思う。

スッキリした。

旧暦(太陽太陰暦)明けましておめでとうございます。


睦月も三日が終わろうとしている。

遅ればせながら、

あらたまことほぎ

御年にして初めて知る言葉「あらたま」「ことほぎ」

雅な言葉

「あらたま」は 「年」「月」あるいは「きへ(来経)」にかかる枕詞。 中世以降は「春」にかけても用いられ、 また「あらたま」だけでも<新年・新春>の意を表す。 この枕詞は古く『古事記』の歌謡の中にも使われている。  『あらたまの年たちかへるあしたより  待たるるものは鶯の声』 素性法師 (年改まれば春はもう間近。その元日の朝から早くも待たれるものは鶯の声)

「ことほぐ」は【言祝ぐ/寿ぐ】 〔上代は「ことほく」〕言葉で祝福する。祝いの言葉を述べて、幸運を祈る。 「新春を―・ぐ」

「言葉で祝う」、祈ってお祝い事を招き入れるとの意味が強いらしく、
言葉にチカラがあった古(いにしえ)の人々の「言の葉」

昨今、私は古(いにしえ)の身体を武術の型などを通して、経験していくことをやっているのだが、
底知れない、
未知の世界
身知の世界
が広がっている。

そして言葉は身から出るもの。
形なき言葉
音、振動、周波数、波動・・・

それは、一つの身体運動、自然運動の表れ
それは、行い、動き、いごき、いのり、いわい

意味や概念を越え、
紡がれる言の葉



波動調整で治癒する機械も海外では徐々にスタンダードになりつつある氣配。

VRやMRやAR
視覚優位の世の中で、
そこから派生する新たな可能性も楽しみながら、
〇や△も忘れないように、
身体で言ったら、上から△、□、〇ですな。
上手く付き合って行きたいものですね。

「分別」

これ私の今年のテーマでもあります。

混ぜないこと、
分けることが分かること。

統合、統一
その危うさも注意深く

多様性、ダイバーシティー
新しい概念に追われることなく、
私達の原点は今も昔も、命に根ざしている。
それを省みることが出来るのが人間なのだから。

「ここ」から「さき」へ行くと同時に
「さき」から「ここ」へ流し込む

叶う現実を「ここ」で祝う

寿ぎ

あらたまことほぎ

豊かに稔る今年一年を、ここにお祝いさせて頂きます。

ーーーーーーーーーーーーーーー

と、これを書いている間に

時は流れ、
二十四節紀は雨水(うすい)
七十二候は土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)へ

2017年の終わりと2018年の始まり





2017年が終わり
2018年を迎え…

2017年
舞踊家・俳優 金野泰史を支えて下さった多くの皆様方に衷心より感謝申し上げます。
魂より感謝申し上げます。
そして2018年、
舞踊家・俳優 YASUCHIKAを引き続き支えて頂ければ幸いです。
何卒、宜しくお願い申し上げます。



2017年は本当に色々とあった年となった。
久々に長く感じた一年。
芸術、舞台にも明け暮れた一年。
こんなにも充実させて貰えたことに感謝し、
こんなにも充実させられことに、
これまで歩んで来た自分の在り方でよかったんだと我を思う。

身内、多くの友、仲間、人々…あまねく命の存在、それ以外の存在にも支えられて、こうして生きていることは奇跡なんだと思う。

奇跡がありふれていて、奇跡に氣付かず、時には奇跡を望んだりすることもあれど、
こうしてふと
「今こうして生きていること」を省みると、
とんでもなく奇跡なんだと普通に思うのだ。

ジョンのイマジンでも口ずさみたくなるw
「想像してごらんよ…」って
「こんなにも奇跡だよ」って

未だ生命無き地球より、
水や空気が生まれ、
長い時を経て生命が誕生し、
その命が受け継がれ、
植物そして動物が生まれ、
人が現れ、
その命が連綿と続き、
この身の種が宿り、
魂が乗り込み、
この身が育ち、育てられ
こうして今ここにいる。

ひとつでもこの繋がりが途絶えたり、ズレたりしたら、
今ここでこれをスマホで書いている自分は存在しない。
その事実。
現れ実を結んだ、
この現実。

確率という数値じゃ厖大過ぎて分からない。
想像力と身体で感じ取ればいい。
分からなければ、
自然と触れ合えばいい。

自然と触れ合って、馴染ませる。
対象化された自然が、
そのままのありのままの自然として響き合う程に…


私の稚拙な文章では、筆舌に尽くし難いこの感覚、想いが、少しでも伝わったら有り難い次第である。

2018年は、
舞踊家・俳優 YASUCHIKAとしても、
生躰研究家 金野泰史としても、
また更にもう一つの肩書きを持とうと動いている金野泰史としても、
邁進してゆく所存です。

本当に身体の世界は奥深く、
愉しくてたまらない。

一番身近にある自然。
一番身近にある宇宙。(大も小もなく)

身、身体、躰、體、からだ…

練って練って練りまくって
身体の可能性を
人間の可能性を
生命の可能性を豊かさを
存分に味わい、深め、潜り、享受してゆきたい。

2017年まで
生かして頂いてありがとうございございました。
2018年を
生かして頂いてありがとうございます!

皆様方にとっても、
創造の時代に突入している2018年が、
実り、循環する年となるよう、
祈っております。






舞台「戦争と一人の女」に御来場頂いた皆様方へ御礼申し上げます。



随分と遅くなってしまいましたが、
舞台「戦争と一人の女」新潟公演、横浜公演と無事終演を迎えられたことに感謝と御礼を申し上げます。
多くのスタッフ、お手伝いして下さった皆様、
そして、この舞台を支えてくださった、観劇者の皆様方。
誠に有難うございました。
そして、新潟でのチケットトラブルをはじめ、不快な思いやご迷惑をおかけした方々に謹んでお詫びいたします。申し訳ありませんでした。
本当いろいろと大変なことが連続であった座組みではありましたが、その分得たものも多かったのではないかと感じております。
これからも、上田晃之を応援して頂ければ幸いです。
そしてわたくし、俳優金野泰史は終わり、俳優YASUCHIKAとして新たに出発します。

舞踊家・俳優YASUCHIKA
として今後とも、よろしくお願い申し上げます。






生で見たことも、聞いたことも、嗅いだことも、味わったことも、触れたこともない戦争に、様々な資料や文献や文学や言葉や映像や映画や、そして安吾からヒントを得て、想像力とこの現代に漂う戦争の匂いでもって、戦争に触れに行く行為は、一つの終わりを俳優金野泰史として迎えた。

今年からリハが始まり、3月の東京、10月の新潟、11月の横浜…
その間の9月に舞踊家金野泰史の生前葬を挟んで終わった2017年、舞台人金野泰史の戦争。
ほぼ一年間の戦争… 架空の戦争…

10月の新潟公演に向けて、何度も諦めそうになった「戦争に触れようとする」行い、行為…正直体力がなかったんだと思う。
知りもしない戦争を思い、戦争を感じようと試み、戦争に触れようとすることは、とんでもなく体力がいることだ。

ふと思う。
リアルに戦争を知り、見聞きし、嗅ぎ、触れたひとりびとりが、戦争を語ることを嫌がり、また戦争という厖大な事件に永遠と囚われざる負えないその戦争の強度を、多少なりとも知り得ることが出来たのではないかと思う。


「ああ、すべてが敵の悪、戦争の悪のせいだと言い切れるのだったら、どんなにいいことだろう」

武田泰淳「汝の母を!」より

「汝の母を!」の文脈なくして、この言葉を引くことに値することを私はここに書いていないし、書けていない。
そして舞台「戦争と一人の女」の劇中でもそれは表現されてはいなかっただろう。
ただ自分の中にこの言葉が思い起こされ、自分の為にここに記しておきたかった。

戦争を知らない者が、戦争を表現することの危うさ。
そんなことを思う。
そこを注意深く扱う必要は、戦争の匂いが濃くなっていけばいくほど、必要だろう。



一俳優として、私が目指していたのは、戦争の匂いを、その臭気を立たせることだった。
「戦争」という言葉が入っており、現代に於いて立ち上がらせた舞台であるならば、原作が坂口安吾であろうとも、殺戮の20世紀を終え、21世紀になった現代においても絶えることなく連綿と続く戦争の臭気を立ち上らせ、今戦争体験者が殆ど居なくなっている時代に突入しているからこそ、戦争の臭気は必要とされうると私は感じている…

だが、

果たして私はそれを成し遂げられたのだろうか?
私は自身に問う。
この国の中で生活している以上、この国が戦争の臭気を濃くして行っている昨今、私の中にもその臭気が濃くなると私は思うのだ。
その私の中に濃くなっている戦争の臭気を意識上に掬い上げて、それを表出させること。
その一つの重要だと感じていた役割を果たし得たのだろうか?

自分の中にある戦争
戦争のシード
戦争とのコネクト
戦争とのジョイン


張りぼての「平和」の中にある闇を見ずして、蝕まられ、生きているのか?死んでいるのか?も曖昧な安心安全に死の不安を煽られ、毒を盛られながらも、生命維持活動をし続け、生命はもはや消耗品として扱われているにも関わらず、周到に個人を分解、粉砕されたひとりびとりの人生や、地球のあまねく生命への敬意なき犠牲の上で成り立つ「平素」「平和」に、ボケて暮らすことを、

私は拒む…

坂口安吾は書いた。そして私はそれを舞台上で言った。
「人間は生きることが全部である。死ねばなくなる。・・・(中略)
私はユーレイはきらいだよ。死んだのに生きてるなんて、そんな
ユーレイはきらいだよ。」


再び私は私に問う。

私は己の生身を通し、その「拒む」態度を、姿勢を、生々しい言葉で舞台に響かせられただろうか?
戦争の臭気漂う言葉を。

石原吉郎の言葉を引かせてもらう。

「・・・ことばが徐々にでも、腐食して行くなら、まだしも救いがある。そこには、変質して行くにもせよ、なお持続する過程があるからです。持続するものには、なおおのれの意志を託することができると、私は考えます。・・・」

私の意志…
私の意…
それは言葉に乗っていたか?
意を乗せられたのか?
私の意乗りは
私のイノリは
あっただろうか?


War is Over
if I want it…
if you want it…

舞台「戦争と一人の女」 11/2~11/5 @横浜 WAKABACHO WHARF 若葉町ウォーフ



舞台
「戦争と一人の女」

公演特設サイト

https://awomanandwar.jimdo.com/

坂口安吾生誕111年 東京(3月)→新潟→横浜>

原作:坂口安吾
構成・演出:上田晃之

<出演>
金野泰史
花村雅子
瑞希
菅沢こゆき
桐生桜来
千賀ゆう子(新潟、横浜)
丹澤美緒(横浜)












《横浜公演》
全7回公演

11月2日(木)
15時☆(△)
20時★(


11月3日(金)
13時★(△)
17時☆(○)

11月4日(土)
13時★(△)
17時★(


11月5日(日)
14時★(
X

(ダブルキャスト:☆千賀ゆう子、★丹澤美緒)

残席情報10/31現在
(◎=余裕あり、〇=余裕あり、△=残席わずか、X=満席)
 
☆開場は開演の30分前。
 上演時間は約90分を予定。

☆千賀ゆう子は2日(木)15時の回と3日(金)17時の回のみ出演いたします。

場所:WAKABACHO WHARF
神奈川県横浜市中区若葉町3-47-1
http://wharf.webnode.jp/
045-315-6025
京急「黄金町」下車 徒歩4分
京急「日ノ出町」(急行停車駅)下車 徒歩8分
地下鉄ブルーライン「板橋東」下車3B出口 徒歩7分
市バス(32,113系統他)「横浜橋」下車徒歩3分

一般:前売3500円(当日4000円)
ご予約:カルテットオンライン

https://www.quartet-online.net/ticket/awomanandwar?o=c00000e
(金野泰史扱い)


※未就学児の観劇不可。作品の内容上、一部性的な表現もございます。
小学生以下のご観劇についてはお問い合わせください。


◆スタッフ
舞台監督:大橋律子 
照明:いとうゆういち 
音響:Bo-z Exp 
映像:アベユウナ
音楽:大西穣 
舞台美術:今井祥子/木嶋美香
衣装:金田かお里
題字:白石雪妃
宣伝写真:前澤秀登
宣伝デザイン:yamasin(g)
制作:丹澤美緒/大橋律子/木嶋美香
 

◆お問い合わせ:「戦争と一人の女」制作部

Facebook:https://www.facebook.com/A.Woman.and.War
Twitter:
https://twitter.com/A_Woman_and_War

Mail:
hitorinoonna2017@gmail.com





●横浜公演
主催:上田晃之
協力:坂口安吾生誕祭実行委員会、国際映像メディア専門学校、株式会社アイエス・フィールド
 




生誕111年、没後62年を経てなお、現代性を失わない坂口安吾の文学/思想。その中でも短編小説「戦争と一人の女」は人間存在を突き放す、鋭い問いをはらんでいる。
上田晃之が構成/演出をした3月の東京公演は、「一人の女」を四人の女優が演じることで、現代社会のあらゆる戦争と対峙しようという意欲的な試みであった。

「戦争はほんとに美しい」
「もっと戦争をしゃぶってやればよかったな」
「どの人間だって、戦争をオモチャにしていたのさ」

原作に書かれた刺激的な言葉/思想を、10月新潟、11月横浜にて新たな出演者と共に改めて展開したい。
<あらすじ>
戦争末期、男は酒場のマダムをしていた女と同棲をはじめた。女は昔女郎をしていて不感症であったが、退屈に堪えられない浮気をせずにはいられない淫奔な性質であった。家庭的な愛情は無いが奇妙に惹かれあう二人は、どうせ戦争で破滅するのだからと、戦争をおもちゃに肉欲的な生活を送っていた。












続きを読む

プロフィール

Yasuchika

Author:Yasuchika
YASUCHIKA
舞踊家・俳優(+生躰研究家)


1999年より俳優を始め、2003年より踊り始め、2004年より、死んだら消える文化的かつ野性の身体観、生命観を学び始め、そのチカラを基とし、また蘇生させることを伴いつつ芸術表現へと転化させている。
また2013 年より生躰研究家、金野泰史として「生きてるってどういうこと?」(=生因)や響命する身体を軸とし、身体の持つ自然のチカラを活性させるワークショップや稽古会も行っている。
2016年より韓氏意拳や武術を始め、他ジャンルの身体、古の身体を通して躰を練っている。
2017年9月舞踊家としての生前葬を行い、舞踊家・俳優YASUCHIKAと改名し新たなスタートを切る。


このサイトでは、舞踊家・俳優 YASUCHIKA、【KIUNJI】企画の公演情報や自身のステイトメント、また生躰研究家としての身体観や考え方をブログ形式でお知らせします。


生躰研究家 金野泰史 稽古会 WorkShop(or lesson )案内はこちら


最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード